あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





待っててはいけないこと① :: 2017/03/30(Thu)



こどもたちと寝食をともにするまでのゆったりした時間の経過のなかでは、普段のプレイングではみられない様々な様子をみることができます。

こどもにとってお母さんと離れて寝るなんて大事件!
その日を迎えるまでにドキドキしながら、身辺と精神の自立に向けてココロの準備をしたのだろうと思われます。


就園前から育ちを伴走してきたコも含め
若干6歳にして見事な自立の一歩を踏み出す勇気に、
大きくなったものだなぁと感慨ひとしおです。


成長も確かなのですが、その一方でアレ?と気になることもありました。おそらく一般的な傾向であり、わたしの周りのこどもだけではない事柄なのだと思われます。
待っていてはいけない、日常から周りの大人が積極的に心掛ける必要があり、家庭でも実践できることだと思うので共有したく記事にいたします。



こどもが何かをしようとする度に
「ジェリーさん、◯◯していい?」と許可を求める、あるいは「◯◯がわからないからおしえて」とスグに尋ねて問題を解決しようとする点です。


普段のプレイングで信頼関係を築いてきたと自負していたため、余りにも尋ねられることの多さに面食らってしまいました。
(もちろん、この場面での愛着対象が「ジェリーさん」に変わったための揺らぎの心理状態が充足を求めるために一層の関わりを求めたのかもしれないことを考慮に入れてもですが)

~していい?
コレでいい?
わからない、おしえて!
知らないからできない!


わたしは本当に困っているときはもちろんサポートしますが、
ジブンの頭で考えてできる(できそうな)ことには
「あなたはどうおもう?」と聞き返してみたり「考えてやってみるといいよ」と不親切ともとれる対応をします。

まちがってもいいと思っているので、上手くできないから、あるいは失敗したからといって叱ったり報復したり恐怖を与えたことももちろんありません。
ですから、スグに聞いて解決しようとする場面に立ち会うと、残念に思えて仕方ないのです。

お手伝いするタイミングは先回りせず、どうするか待ってからでも遅くないと考えているからです。


こどもの承認欲求が強いとも言い換えられるでしょうか。(このような大人もたまにいますよね)


「いいよ」って言ってもらえないと不安。
ジブンというフィルターに通して考える前に大人に聞いて言う通りにするのが安心。
ものごとには正誤があって、間違ってはいけないと思っている。あるいは怖れている。
ジブンの判断は未熟で、いつも大人は正解を持っている。




外がわから善し悪しの評価をされることを早期に身につけてしまったため、ジブンの頭で考えて判断する前にジブンの外がわにある物差しで問題解決を図ることが習慣化していると、


やったことのないことは出来ない。
教えてもらわないと困ってしまう。
出来ないからやりたくたくない、といったふうに
新奇なことに挑戦する意欲を持てないどころか不安や恐怖にストレスを抱えることにつながるでしょう。
拒絶したくなるのではないでしょうか。

でも考えてもみてください。
小学校で出会う初めてのことはたくさんあるはずです。
世の中は正解のない問題に満ち溢れていますよね。


小学校は幼児期とは違っておうちの人との関わりがうんと減り、ジブンでジブンのお世話をすることが増えます。お友達との関わりが増え、ジブンで考えて判断して行動することが求められます。


ですが、小学校に入る準備として世の中にある習い事といえば、前倒しで算数の計算や文字を書いたり、
英語が必修になるといえば英語教室へ、
高学年の臨海学習で遠泳があるといえばスイミングへ
プログラミングが必要といえば教室へ、
といった具合に近い将来に備えて貴重な午後の時間を毎週削ってそのときのために訓練している訳でしょう。


以前、虹色教室の奈緒美先生が記事にされていましたが、家庭が家庭の機能を果たさず、もはや学校の予備校のような役割を担っている、との指摘は頷けます。


習い事が悪いと言っているのではなく、


何か成果を得ようとあらゆる習い事の門を叩いては辞めるを繰り返してこどもを連れ回したり、
こどものあれこれ試す自由なあそびの時間に替えてでも、
お母さんが送迎で忙しく疲れてしまうほど、ホントにその習い事ってこどもに必要なのかな?と疑問に感じます。


子育てをジブン意外の第三者に関わってもらいサポートしてもらうことは親子共々成長したり、新たな気づきが生まれるでしょう。
親の「ジブンのこどもをこんな風に育てたい」という強い信念があれば、幼児にとって家庭こそがまさに生活の場であり、自立のための機会に溢れているのです。

こどもと一緒に
洗濯したり、干したりたたんだり収納すること、
手はずを整えて切ったり、計ったり、炒めたり、煮たり調理をすること、
ものを片付けて、掃除をすること、
庭の草を引いたり、花や野菜を育てたり、
昆虫や動物を飼育したり・・

どれも身辺の自立に必要なスキルですが、全ておうちの人と会話をしながらできることばかりです。
幼児期こそ一番親と向き合え、家庭にいられる時間がたっぷりある時期です。

ジブンってスゴイと思える自己有能感が大切ということは広く知られていますが、その有能感の材料が誰かより何かができることや競争の中で優位に立つことにアンテナを向け続けていると、思春期以降社会と関わりを持っていくことが困難になってきます。


時の経過と共に疲れてきたり、ジブンが絶大な信頼を寄せていた有能感は実際にはそれはそんなに大したことではなかったと気づいたときに、自己のパーソナリティまで侵食されかねない危うさをはらんでいると思うのです。


ここまで記事にしたところで膨大な文字量になり、でも大切なことはシンプルで少しなのに、うまく表せないジレンマに宿ってしまって荒尾ルームのレオさんのブログ「自己肯定感を育てるって?」
を読みました。

偶然にもレオさんと同じような内容で、同じようにもどかしい気持ちでいることが伝わってきて少しホッとしてしまいました。



続きます。











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comment

ジェリーさんの気持ちすごくよくわかります。
おひさまクラブ(小学生部)をはじめた頃は、小学生のお泊り会で「レオさん」「レオさん」と大人に依存する子が多くて「レオさんは3回で!あとは自分で考えて!」と突き放してみたたこともありました(笑)。でも実際は、そういう単純な問題ではなく、幼少期から大人の指示で動く子を育てるのではなく、年齢に応じた体験や自分の頭で考える経験を積み重ねていないと一朝一夕には変わらないですよね。
私もジェリーさんのように問題意識をもって子ども達と接しているうちに、荒尾の子も少しずつ変化がみられてきました。年齢的にも全体を把握して動くという高度なことは難しいのですが「レオさん~」と依存することは少なくなり、どちらかというと勝手に好きなことやってる?という一面はありつつも、ある程度の流れを大人が支援してあげれば、かなり自分で考えてできるようにもなってきました。
お泊りでの食事作りやお店屋さんや工作の段取りも、はじめはてんやわんやしていましたが、何年か継続していくうちに、「あのときは、あーしたから、こんかいは、こーしよう」みたいな見通しが自分でもてるようになってきた子が増えてきたように思います。
大人が子どもの手足となり、考える思考まで奪ってしまったら、どうなるでしょうか?本当にそれでいいのでしょうか?もどかしい気持ちでいっぱいです。
自分の手・足・頭をしっかりつかって、ゆっくり じっくり しっぱいをしながらしか育まれないものがあることに大人が早く気付かなければいけないと思っています。
「自分でやってみたい!」「僕を信じて!」という子ども達の心の声を大切に見守り援助してあげたいと思っています。もちろん、失敗もOKで、そこから学ぶものも大きいです。
どうしたら伝わるのか・・・大きな課題です。次の記事も楽しみにしています。

  1. 2017/03/31(Fri) 19:07:34 |
  2. URL |
  3. レオ #-
  4. [ 編集 ]

待つことと・・、待っていてはいけないこと・・、

微妙なテーマですね。

ジジの個人的な意見ですが・・・・・・・・。

子どもの個人的な発達を阻害しないこと、乳幼児期の子どもについて言えば「子どもの自然な発達を阻害しないこと」と思っています。

では、個人的な発達とは何か?
子どもの自然な発達とは何か?

ここのところを私たちは学んでいくことができます。勿論、手間もかかるし難しいテーマですが、そのことは私たち大人にとっても、子どもたちにとっても、家庭にとっても有意なことのように思っています。

多くの場合、意識的に子どもの発達を阻害する親や教師はいないと思いますが、知らず知らずのうちに子どもの発達を阻害しているケースは多いかもしれません。

レオさんの先日のブログに「子どもを平均化しようとする力が働いている」という意見がありましたが、こうした同調圧力も「子どもの個人的な発達や、自然な発達を阻害する要因」になっているように思います。

もう随分前のデキゴトですが、

「お口にチャック、手はおひざ・・」と語りかける保育士の言葉を聞いたことがあります。「お口にチャック、ダマリンコ・・」というフレーズもあったようです。

たくさんの子どもをあずかっていて、子どもたちをまとめていかなければならない保育士の立場もあるとは思いますが、

子どもはしゃべってなんぼのもの・・・と思っています。

かってに、しゃべってはいけない場所もあること、
かってに、しゃべってはいけない時もあること、
こころの中で思ったからと言って、なんでも口にして良いということではないこと・・・・と言うのはあると思いますが・・・、

こういうことは身近な大人の行動を反映するもので、大人がそのようにしていれば、子どもも自然に身に付けていくように思います。


「自己有能感」と言う感情は、本来赤ちゃん時代からあります。ナルシズム期というようです。この赤ちゃんの自己有能感を支えているのは実は母親の細やかな日々のお世話です。しかし、赤ちゃんはそのことは知りません。当然と思っているようです。

「でもいつまでも」と言う訳にはいけません。少しずつ成長していくにしたがって「ジブンは母親に依存している」ことに気づいていくのでしょう。

自己有能感を母体にして、自己肯定感が生まれるのだと思いますが、幼児期の子どもたちは、ほとんどが自己肯定感をもっています。

ですから、ゲームをして負けそうになると、ゲーム版をひっくり返したり、ズルをしてでも勝とうとしますよね。

6歳以前の子どもたちには普通に見られることです。

子どもを誉めたり、学童期の勉強を少し早目に身に付けたからと言って、子どもの自己肯定感が育つわけではないでしょう。

アンナ・フロイトの言葉に「母親からしてもらったお世話を、ジブン自身にできるようになること」これが幼児期の仕事だそうです。

アンナ・フロイトは児童精神分析学者で、自己肯定感という情緒発達の世界的なプロですから、そうかも知れませんね。

先日のお泊まり会は、ジジも参加して8人の子どもたちをひと時を過ごすことが出来ました。

ちょうど、田中昌人・杉江教授の発達理論を学びなおしていたところだったので、理論の中の「第3の新しい発達の力」がどのように見られるか、と言う思いで見ていました。

8人の子どもたちは、最年長が6歳9か月、最年少が6歳0か月、平均で6歳4か月でした。

そこで目にしたことは、ジェリーさんが見た「成長した6歳児の姿」と同じだと思います。

終わりそうにないので、次回つづきを書きます。













  1. 2017/04/01(Sat) 10:52:58 |
  2. URL |
  3. ジジより #-
  4. [ 編集 ]

「第3の新しい発達の力」はおおよそ5歳半~6歳にかけて見られるもので「ジブンの意図に従って行動し、トモダチの意図を理解しながら、協同でものごとを展開したり、目的を達成すること」でした。

今回の宿泊経験で、ジジが目撃した子どもたちの行動は、室内では3~4人でボードゲームをしたり、ジブンたちでルールを決めて、かくれんぼをしたり、屋外では、アスレチックのあるところであそんだり、
勾配のある土手で草スキーをしたり、草花を摘みながらおしゃべりをしたりする光景でした。

5人のスタッフは、おおむね遠目に眺めていたり、視界から見えなくなったときは探しに出向いたり、危険がありそうなところでは、比較的子どもたちの近くにいて様子を見ていました。

ときどきは、スタッフも子どもたちと一緒にあそんでいましたが・・・。

「ジブンの意図に従って、トモダチの意図を理解し、協同でものごとを展開し、目的を達成すること」というと、なんだか難しそうですが・・・、

トモダチと草花を摘みながらおしゃべりすることもそういうことだと思いますし、トモダチと連れだってアスレチックをすることも、協同でものごとを展開することだと思います。

言い換えれば、大人の指示のないところで、ジブンたち2~3人で連れだって、あれこれの世界を楽しんだりして、共に行動することです。

「親や先生のいないところで・・」と言ってもいいと思いますが、ジブンたちだけで目的を見つけ、共有し、探索することで、互いにトモダチを理解していくのだと思います。

もちろんリスクはあるのですが、リスクがあるからこそ、ジブンたちで判断しなければならないことも出てきますし、リスクがあるからこそ、秘密めいた楽しみをトモダチと共有することもできるのでしょう。

こうした領域を「第3世界」というようですが、8人の子どもたちを見ていると、どの子もこの「第3世界の入り口」に立っているように思いました。

これから、7歳、8歳、9歳、10歳と「第3世界」を拡張しながら、ジブンとは何か?トモダチとは何か?ということを学んでいくのだと思いますね。

これらの第3世界が空間的にも狭くなっていること、さまざまな記事の報道で心理的にも狭くなってきているは残念なのですが、私たち大人がそれらのことを意識していくことが、最後の砦かも知れません。

もう一つ、「群生化」の課題をしたのですが、少し不安を残しました。

右ー左ー真ん中 前ー後ろー真ん中 大きいー小さいー中くらい 長いー短いー中くらい 怖いー悲しいーちょっと怖い・・・のような中間概念ですが、ここがあいまいなところが見られました。

ジェリーさんが指摘していたように、

子どもといっしょに、洗濯物を干したり、たたんだり、収納したり、
手はずを整えて、お料理したり、花や野菜を育てたり、昆虫や動物を飼育したりなど、日常生活の中で子どもと一緒になにかを楽しむことがあれば、中間概念は自然に身についていくでしょう。

おおよそ5歳からですが、遠足に行くときのリュックの荷物の点検など、楽しみながら一緒にすると良いかもしれませんね。

田中昌人・杉江の「可逆操作の高次化による階層発達理論」のよると3次元形成ということですが、10歳過ぎからの思考を必要とする勉強と不可分に結びついてくると思います。

自然に育つものと、人工的に育つものがあります。

話し言葉は自然に育つものですが、書き言葉は人工的に育てる世界です。

そして、書き言葉への最近接領域は、話し言葉の語彙量であり、話し言葉の質に依存していることは、容易に想像できると思います。

「親子で、あれこれ楽しく会話ができること」

これが、いちばんの早期教育かな・・・・と思います。












  1. 2017/04/04(Tue) 16:33:37 |
  2. URL |
  3. ジジより #-
  4. [ 編集 ]

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