あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





待っててはいけないこと② :: 2017/04/01(Sat)


前回に続き、
おとまり会を通して気になったこと②です。


山は人間以外の動物の住処でもあります。

イノシシ、シカ、クマ、ヘビ、タヌキ、イタチ・・もちろん虫や植物も。


今回私たちが利用した宿泊施設は整備されていますが、山の脇にあります。
一歩 林に入っていけばそこは動物たちのフィールド


立看板がありました。


「このあたりは猟ができる地域です。
ハイカーは服装に注意して下さい。」

このような内容でした。

そこで、こどもたちから「なんて書いてあるの?」と聞かれたので、わかりやすく上記を説明しました。

「りょうってなんなん?」

「動物を鉄砲で撃って肉を食べたり、売ったりして生活する人たちもいるのよ」と答えました。

すると、

「かわいそう・・」という声がありました。




「あなたは肉をたべないの?」
「たべるよ。でもおかあさんがスーパーでかってるから」


スーパーで買っているから殺してない。だからかわいそうではないってこと?

ん? 何か変だなと思いました。

そうではありませんよね。


「スーパーで商品として並ぶためには、誰かがそのカタチにしてくれているのよ。私たちが直接やってないけど、誰かがやってくれているから食べれるの。
私たちが生きるということは他の動物の命をいただくってことなのよ。あなたのパパとは違う種類の仕事をしている人たちもいて、この世の中が便利に暮らしやすくなっているのよ」


そのようなことを話したとおもいます。


おそらく
とりわけ都市部に住み、パパが会社員などサービス業に従事する第三次産業の家庭が多い今のこどもたちは、
農業や畜産業、水産業などに従事している人々から切り離された生活を送っているので、
想像したこともないかもしれませんね。


人間は必要なことは考えるでしょうが、
必要ないことは考えたり、想像することはないでしょう。

でも、本当にそれでいいのかな?と思います。



山梨県で「時間に追われることなく、子どもと向き合う保育をしたい」と森のようちえんを立ち上げた幼児教育家の中島久美子さんは、

以前はいろいろな保育園や幼稚園で働いてきたそうなのですが、心の底から納得できないことが多々あったそうです。

転機となったのは、幼稚園に勤めていた際、ライオンがヌーを食べる絵本を読んだときに
やはりこどもが同じことを言ったそうなのです。


そのときのことをこのように紹介されておられます。


自然の中の命と自分の命がつながるっていう認識が必要だということです。(中略)
そのときの私は「まずい」と思ったんですね。「自分の命と自然が離れすぎてしまってダメだな」と思ったのと、その子が、僕は〝いい子〟、殺している人は〝向こう側〟と思っている感じがしました。人間は何かの命を犠牲にして生きていくもので、犠牲にしちゃうから申し訳ないと感謝して生きていくものなのに、その謙虚さみたいなものが感じられなくて。それは「まずい」と思いました。




人間優勢で人間本位に環境を汚染したり、都合の悪いものを見えないところに押しやったり、排除して成り立っている生活を送っているので、
こどもたちが知らないのは当然のことですよね。


だからこそ、
本当はそうじゃないのよ、と伝えなければ
私たちの存在そのものが危ういと感じるのでした。



しつこいようですが、
もう少し続きます。





















関連記事
  1. 戸外での活動
  2. | trackback:0
  3. | 本文:2
<<待っててはいけないこと③ | top | 待っててはいけないこと①>>


comment

普通の生活では気付かないことを非日常のこのようなことで意識させてくれるのでしょう。

全ての生命は食物連鎖の関連で生存しているのですが、人類では、社会化に伴って日常の生活から食物連鎖を意識することから、どんどん離れていってしまってます。人類は食物連鎖のピラミッドの頂点にいるので、ややもすれば人類中心の世界観に陥り、<他の生命から支えられている>という意識がどんどん欠落し、勝手に<かわいそう!><守ってあげなければ!>などと思い上がった意識をもってしまうことにつながっていきます。

生命に関することだけではなく、文化、社会、民族間などでも同調な問題でしょう。
<あるものが絶対正しい>ということで、紛争の拡大をもたらしていますね。<絶対正しい>と別の相容れない<絶対正しい>との紛争。

どのようなことを私たち大人が幼児期の子ども達にすべきなのだろうか?
つと悩んでしまうこと多々あります。

<絶対>なることを極力避けようと考えています。
大人からの強制で<〜しなければならない>と置き換えてもいいかもしれません。<絶対正しい>から◯◯勅語を覚えなければならない、なんて愚の骨頂です。

全ては相対的、そして日常の生活の即して判断する、そのような思考を育てられたらいいなと、思うのですが、なかなか難しいことです。

まとまらない話で・・・
  1. 2017/04/09(Sun) 11:08:02 |
  2. URL |
  3. m.k.masa #-
  4. [ 編集 ]

masa先生

コメントありがとうございます。

わたしもまとまりのないことを3回に渡りつづりました。
リボンクラブでは、自然に身に付ける力に注目することを柱としていますから、普段のプレイングにおいて「教えること」はほとんどありません。
それでも、「アレ?おかしいな」とか「これまずいな」と感じたことはおうちでの様子やお母さんのヒアリングから判断して、大人が調整する必要があるのでは?と
待っていてよいことと待たないで積極的に働きかけることの必要性を感じます。
こんな社会にした大人に責任があるからですね。
そうやってわたしは親や祖父母の代から大切なことを受け継いできたはずです。
そんな意味でもmasa先生が理念を発信し続けることには価値があるのです!
すいません💦この文章もなんだかまとまりがありませんね🙇

  1. 2017/04/10(Mon) 23:37:46 |
  2. URL |
  3. ジェリー #-
  4. [ 編集 ]

comment


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://omocharibon.blog.fc2.com/tb.php/1156-23b10957
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)