あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





第二の出産 ~社会へ向けて~ :: 2016/04/06(Wed)


この春、長女が自立して家を出た。
自立といっても経済的な面はまだ先のことで、身辺的な面で、である。


春休みを利用して引越しを手伝い、生活に必要なものを購入するなどの手はずを整えた。

新居となるアパートの周辺を歩いて、スーパーやコンビニ、薬局、銀行、病院を見て回った。



女の子の一人暮らし。
防犯にはうるさいくらいに念を押した。


食材、洗剤の選び方、ゴミの出し方を話して聞かせていても、
当の本人はベッドで横になってiPhoneをいじっている。
親の心配は届いていない様子だ。


目の前のことに懸命で、おそらく食べることは一番後回しになるだろうと思う。
わたしのいる間だけでも手料理を食べさせたく、
限られた調理器具、調味料、スペースで奮闘した。

少量で購入した野菜もどうしても余る。
細かく刻んでフリージングしておいた。

味噌汁好きな彼女が簡単に具沢山味噌汁が作れるように願ってのこと。


そんなことも耳に届いているのか生返事が返ってくる。


食べないで体を壊すんじゃないか?
ゴミを出さないでゴミ屋敷になるんじゃないか?
非常識なことをしてご近所に迷惑をかけないか?
鍵をかけ忘れたり、失くしてしまうんじゃないか?
果たして本当に一人暮らしができるのだろうか?

きっと、20うん年前わたしの両親もこんな気持ちで田舎から大阪に送り出してくれたのだろう。



長女を19年間育ててきて、大切なことはこれまでに伝えてきたつもりである。
それでも、心配はあとからあとから沸き起こる。


そんなわたしをたしなめるように、
「この日を迎えるために育ててきたんじゃないか!大丈夫。あなたが思っているよりしっかりしているよ。」
もう一人の自分が言い聞かす。




わたしが大阪に帰る日
彼女は渋谷へ、わたしは羽田空港へ向かう電車の別れ際、
「しっかり頑張りなさいよ」
先に電車を降りたわたしに彼女は顔色一つ変えずひょうひょうとした表情で手を振った。

彼女の乗った電車が動き出した。


親としての役割にひと段落ついたはずだけど、なんだかホッとできないわたし。

彼女は充分頑張っている。
本当にシッカリしないといけないのは、
わたしの方だと痛感した。


子離れ頑張れワタシ!




  1. むすめたち
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状況を覆す強い精神力 :: 2014/05/09(Fri)


久々に娘のおはなし。

わが家の長女は高3生。

彼女には、夢があります。
将来はこんなことをするヒトになりたい!と明確な『目指すもの』があり、
夢に一歩でも近づけるよう
いつも彼女の頭の中はそんなことでいっぱいです。

帰宅後の様子は、
喜びの絶頂だったり、失意のどん底だったりとまるでジェットコースターにのっているような毎日で感心します(笑)


努力を惜しまない彼女の姿にわたしは励まされています。


この間 、嬉しい報告を聞かせてくれました。

彼女が所属する団体の公演当日に、急な配役の変更が生じたそうなのです。

娘は日頃、いつチャンスが巡ってきても
「わたしできます」と言えるよう準備を怠らないよう努めています。

ですから、この配役変更のチャンスに
進んで名乗りを挙げたそうなのですが、

決定権を持っている人からはいささか敬遠されているような雰囲気を感じていました。

しかし、何度 尋ねられても引き下がらない娘に振らない訳にいかず、

「この曲、歌える?」
「はい!歌えます」


「歌詞全部覚えてるの?」
「覚えてます!」


「ホンマに?歌詞飛ぶなんて許されへんけど」
「はい、大丈夫です」


「全18曲あるよ」
「大丈夫です」


「3公演(1日)あるから18×3で54曲あるよ」
「はい、大丈夫です」


「途中で声悪くなったり、質が落ちたら即降りてもらうよ」
「はい」


こんなやり取りがあったことをわたしに話してくれたあと、誇らしげに

「なんと~

54曲歌い切りました~!!」




え~すごい~っ!!

1曲の歌詞を間違いなく覚えることも難しいわたし。(←わたしと比較するのが間違い?)
それを18曲。
しかも3公演!

おまけに3公演全て観に来ている観客がいることを知っていたので、その人たちに退屈やなと感じさせないよう
3公演分表現方法を変えて演じたというのです。

途中で降ろされる不安もあっただろうに、できる限りのパフォーマンスを行ったのです。


そんなこと当日に言われてできるの?
わたしには全く想像のつかない世界です。


これまでも土壇場で役を降ろされたり、
自分の実力が上回っている(自信がある)のに、引き立てがなく
悔し涙を流してきましたから、この朗報に嬉々としました。


観たり、聴いたりして覚えたり、
声を使い、全身を使って表現することを
心の底から楽しみ、時に悔し涙をながしながらもそれでも前を向いて挑んでいます。

自らすすんで競争の中に身を投じています。
自分の可能性を信じています。

いつチャンスが巡ってくるかわからないから、
体調悪くて学校を休んでも、レッスンには行きます。

そんな努力が功を奏して、チャンスを獲得してきていました。


そして、この話には続きがあって、

娘にチャンスをくれた人が、
「◯さん、あなたに力があることは知っていたけど、正直ここまでできるとは思ってなかった。わたしの想像を覆すほど完璧やった。これからも(この団体に)いて欲しい。」

3公演観た観客にも、「◯ちゃん、よかったよ~!感動した」と
賛辞の声を頂いたというのです。


わたしは今の彼女の活動のためにしていることはありません。
彼女自身が情報を集め、選び、判断し、行動に移しています。
一見遠回りなようでも、労を惜しまず毎日努力しています。

否定せず、認めること。


彼女があきらめない限り、わたしも応援したいと思っています。


若者を否定することに一生懸命になるより、応援する大人でいたいです。



  1. むすめたち
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希望 :: 2013/11/15(Fri)

【この作品について深く読み込みましたね。
人間の〝こころ″についての深い考察は、きっとあなたの進む表現の世界でも役立つことでしょう。】



この文章は、長女の高校の国語の先生が
授業で扱った夏目漱石の「こころ」の娘の感想文に返却されたものに書いてあったものです。


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娘は進学校に入学しましたが、
彼女の進みたい道ではなかったと感じていました。

学校全体で「教科学習」に向うなか、
一人みなとは違うことをしているため、
クラスメイトには冷ややかな視線を浴びることになったり、

先生のなかにも、大学進学を目指さないなんてダメ!と思っている方もいるように娘は感じています。

「あ~、歌はがんばったらその分上手くなるのが目に見えて自分でわかるから楽しい。出なかったところが、出るようになるもん。
でも、ダンスは難しいわ。すぐに上達せんわ。
それでもその時間が楽しいねん。
わたし、将来はこうゆうことする大人になりたいわ。」

この原稿用紙をわたしに見せてくれてから、娘はこう続けました。

『この先生に、「あなたは(長女)お休みの日はどう過ごしてるの?」って以前聞かれたことがあって、
「はい。歌ったり、ダンスしています」って言ったら、あきれた顔で「そんなことして遊んでないで、勉強しなきゃダメよ!」って言われたの。
わたしはどうやらあそびで歌やダンスばかりしている子と思われてるんやな~と思うと、真剣に取り組んでいることなのにバカにされたようでつらかってん。夢見ちゃんを足蹴にするようにテキトーにあしらう感じ。
でも、この原稿用紙に書いてあるコメント読んだとき、感動して涙がでてん。」


学校から配布された文書もろくに出さなくなった娘が「これ読んで」と渡してくれたその〝こころ″の感想文は、

「わたし」と「K」の心情や変化、人間のこころが複雑に絡み合う様子を細かい描写から感じとっていることが伺えました。

きっと国語の先生もその辺りを汲み取られたのでは?

“深く考えずに、浮ついた調子のイイ女の子”の印象を払拭してしまわれてのこのコメントなのかな?

なんて思いました。


今後、どうなるのかはわかりませんが、
彼女を取り巻く多くの大人のサポートを得て、彼女が望む進路に立つことができればいいなぁと願っています。



  1. むすめたち
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学ぶこと :: 2013/04/20(Sat)

長女は彼女の通う高校の音楽の先生が大好きです

その先生は、非常勤講師なのだそうですが、

大学進学カリキュラム一色の授業に
つまらなさを感じていた長女は、

「音楽の授業のために学校に行っているようなものだ」
と常々言っておりました


先生は、若い女性の方で
センスの良い服装を身にまとい


決して大きな声を出さず、
若者の思いに共感し、寄り添い、
決して否定しないそうです


また授業では、「芸術は何にも通じている」とし、
音楽のみならず、美術や舞台・ミュージカル、書道などの
あらゆる芸術についても触れ


授業に教科書をつかうことは、ほぼないそうです


そんな先生が授業の一環で、生徒たちに『RENT』という、アメリカのミュージカル映画を鑑賞させてくれたのです


詳しくは分かりませんが、その映画は
まさにアメリカの若者が抱える問題、
貧困、同性愛、ドラッグ、HIVなどの事情を持ちながら、いかに希望を持って生きていくのかに迫った内容らしいのです


それ以来、世の中にそのような自分の環境や価値観とは異なった人々が存在すること、時代背景、歌にも衝撃を受け


長女自身でもDVDを借りて何度も観るほど、強い衝撃を受けたと言っています



先生が生徒に教えられることとは

生徒側が主体的に考えられるテーマを
投じ、自由な見解を持つことを

保障すること

視野を広げ、別の観点からモノを見ること

答えを与えるのではなく、生徒が模索するところまで、だと思います

さぁ、あなたはどう思った?
そう、
そうなの
へ~、それいいね
あなたはそうなのね!
それでいいよ



もちろん、教科の特性によって違いもありますが、

真の学びの姿が、ここにあると深く感銘を受けました


教科書は家でも読めるし、
教科書通りなら、誰でもできるのです
もっと言うと、「わたしでもできる」と長女も豪語します


音楽などの芸術を通して、世代を超え
伝えたいメッセージが


この音楽の先生から感じられるのです


彼女の音楽の授業中に、寝る生徒はおらず、みんな先生が好きで、彼女の話を真剣に耳を傾けるそうです

彼女は多くの生徒から信頼を集めていたことが伺えます


授業中、寝る生徒がいることを嘆いたり、怒ったりする前に

自分の授業は、生徒から「あなたの授業を受けたい!」と思われる内容であるか

「先生」と呼ばれる方たちは
慢心することなく、研究していくべきです

ちょっとエラそうになってしまいましたが、


人生の中で振り返ったとき、そんな先生との出会いは財産に匹敵すると
感じています


長女の話を聞いていると、
以前受講した『おもちゃコーディネーター講座』のことが思い出されました


ドイツ?では、美術の時間
ひとつのテーマに沿って、
絵で表現する子もいれば、粘土を使う子、歌って表現する子、ダンスをする子
表現の仕方はいろいろあってよく、保障されているということでした


この先生には、残念ながら今年は当たらず

長女曰く「教科書通りの」従来型の音楽の授業になったそうです

まるで生徒を豆粒に向かって教えているように扱い(自分たちは無力だと教えられているように感じる)、
一人ひとり感じ方は違うのに、同じ反応を強制されるのだそうです

学びたい全ての子に特性にかなった表現を認めること

まだまだ日本では、難しいようです



  1. むすめたち
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家庭の役割 :: 2013/02/01(Fri)

一昨日は長女が、

昨日は次女が、


「ただいま」


と家に着くなり、


涙がこぼれる


つらいことがあったのだろう


わたしは彼女たちに代わって
問題を解決することは出来ません


わたしに出来ることは、


彼女たちの話しに耳を傾け


明日への活力となるべく

環境をつくること



そんな家庭でありたい


そんな母親でありたい


がんばれ!むすめたち


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