あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





「考える」ことは「楽しい」となるように :: 2013/10/30(Wed)

9/9の過去記事【こどもの「教育」とは? ~1~】にも登場した


元長崎少年鑑別所所長さんのお話しですが、もう何年も前のことなので忘れてしまった点もあるのですが、

収容されている少年・少女たちの特徴を話して下さいました。


と、いうのはこどもを健やかに育てるための「子育て講演会」の講師として来られたわけで、どうすればわが子が犯罪を犯すようなこどもにならないで育つことができるのか





つまり、その特徴と反対のことを身につけさせることができたらよいということでした。


収容されている子たちに共通することは、

ひと昔前なら、両親が片親であったり、経済的にも苦しく、勉強も苦手、身なりや言葉使いも荒く「あ~、やっぱり」と思われるような子達だったのが、


現在は一変し、どちらかと言えば裕福な家庭で、ものに困ることもない。
勉強も普通にできる。

逮捕されて連れて来られる子を見て、
ホントにこの子が?と首をかしげたくなるような、どこにでもいるような普通のこどもに見えるそうなのです。

絵を描かせると、食卓にはテーブルと自分一人が描かれ(記憶が定かではありませんがテレビもあったかもしれません)孤食の様子が伺えました。「自分」という「人間」は不完全で年齢にそぐわず幼稚なものでした。
色目もなく、さびしい印象であったことはハッキリ覚えています。


このことから、日常的にこどもに一人で食事を摂らせることはよくないですよ、ということです。


それから、彼らに心配なこと、悩んでいることがあるかと尋ねると、
「悩みはない」と言うのだそうです。

あれこれ悩んだり、「考える」ことはしないのだそうです。


いろんな質問をしても、雑談にしても
物事の核心に触れたり、なぜ~?という状況に置かれると、途端に思考がストップしているようです。


それは、彼らの習慣というか〝くせ〟のようで、
「考えるとめんどくさいから、考えない」と答えたそうなのです。


そうなのかもしれません。

考え、自己を振り返ったり、反省したり、客観的に物事を見つめることができれば、たいていそんな大事にはならないものです。

物事について、深く考えを巡らせたり、突き詰めていったり、考えをまとめ上げる過程は
ときに苦しくもあり、投げ出したくなるときもあるものです。

悩んだり、考えたりしなければ
苦しまなくていいわけですから。


このことから、こどもには「考える」ことをしっかりさせることが大事ですよ、
というわけです。


なぜ、このような何年も前の講演会のことが思い出されたかというと、


私には、歌ったり踊ったりすることが大好きな高校生の娘がいます。

将来はその道に進みたい希望があるようで、学校が終わるとミュージカルの活動を学んでいます。

ある日レッスンを終えた娘が、
「あ~楽しかった!ネコになることを考えるの、めちゃ楽しかった~」
と、充実した表情で帰宅しました。


どうやら、その日は講師を招いてCATSという演目のワークショップがあったそうなのです。

その名の通り、たくさんネコが登場するのです。

自宅でイメージを膨らませた娘は、見事に歌のソロパートを獲得できたことに加え、ネコの表現を認められたことに手応えを感じているのでした。

彼女は、気高く、動じない、スマートなネコのイメージで首の動かし方、目線の送り方、背中や肩の動かし方を即席で考え演じたようで、

厳しい講師に
「あなたのネコはどんなネコだかわかる」と言ってもらえたそうです。


「考えるのが楽しかった」きっとそんな想いは伝わるのかもしれませんね。

それから、
「先生、めっちゃすごいねん。先生の(演じる)ネコは、ほんまに尻尾まで見えんねん。いま尻尾がどうなってるかまでわかるくらい!」

と興奮して話してくれました。


実際にはない「尻尾」が見えるようだと感じるのは、人間のみが感じとることのできる高度な能力でもあります。


彼女の話を聞いていると、わたしまで
その講師のネコを想像したり、
娘が演じたネコを目の前で見て、
人間ってこんな細やかな動きができて、人を魅了することができるんだという想いが溢れました。


同じくらいの年齢のこどもが、
一方は凶悪な犯罪に手を染めることになったり、夢に向かって輝くことができたり。


どこでそうなってしまうのか?


あまりにも極端な例だけど、彼女の話から思い出されたエピソードでした。



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