あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





ちょっとずつ変わってきましたよ :: 2016/11/11(Fri)

「カレーパンマン」「アンパンマン」と教えてくれました。(3歳8ヶ月)

アンパンマンには丸いほっぺ、カレーパンマンの輪郭にそれぞれ特徴をおさえて描いています。

はじめに「コレを描こう」と目的があって手が動いたようですね。


アレアレ?顔から外側に向かって何か伸びていますね。

なんでしょうね?
頭足人の始まりでしょうか??


半分だけカボチャのオバケが印刷された紙があります。
「この線のところで半分に折ってみるよ~」
二枚かさねて切れるかな?

経験を重ね、左手で紙を調整して
ハサミを持つ右手はほぼまっすぐに切り進めています。

見事な左右の手の協調運動ですね。


こんなに手が動くなら、折り紙をさんかくに折れるかな~?

そうだよね。角一点がズレないよう注意を集めて折れました。


折り線に沿って、まっすぐ切るのは難しいね~

うまく切れない・・と感じているようですが、
「すごくイイよ、大丈夫!」はげまします。


二つのさんかく、もとの折り紙の形にもどるかな?

すぐにできなくても、静かにクルクル回して・・
「できたー!」こんな表情。


風船ゲームはお気に入り!

順番やルールを守ることが楽しいようです。

このあと
果樹園ゲームもして、

わたしがカプラでおウチを作ると、まねっこしてできました。

カプラの数や置き方にいたるまで全くよく模倣できています。
そして何より驚いたのは、置くときにいさぎよいこと!側で見ているわたしやお母さんは、その斜めの柱に置いて倒れやしないかと、内心ヒヤヒヤしていたのですが、当の本人は全く気にしていません。倒れても、落ち込んだり怒ったりと気分を損ねることもなく開放的で
「またつくる」意欲がありました。


これまでは、自己中心性が強く
なんでも「わたしはこうしたいのよ!」が表出し、お母さんやわたしが思っていたことと違う応答をしようものなら泣いて抗議していたものでした。

それが秋以降、リボンクラブではみられなくなりました。

上記のように、相手の提案を受け入れたり
困難な状況をなんとかしようと試みたり、
ルールのあるあそびを好んでやりたがったりと
随分大きくなったようです。


家庭では大好きなお母さんにはこうもいかないこともあるでしょうが、
少しずつ自身の身体や気分を制御・コントロールできる喜びにであってきているのかもしれませんね。

最近、そんなふうに感じています。




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三角と三角を合わせたら四角になった。

これは4歳前後の子どもにしたら驚きですよね。それにしても「感動的な驚き方」ですね。

これまでは自己中心性が強く、なんでも「わたしはこうしたいのよ」が表出し、お母さんやジェリーさんが思っていたここと違う応答をしようものなら、泣いて抗議していたものでした。

ママもタイヘンですね。だいたい幼児期の子どもは「すくすく育つ」というより、「ママに言いがかりを付けながら育つ・・・」と考えた方がいいかもしれません。

リボンクラブの先輩ママがこんなことを言っていたのを思い出しました。「ジジさん、9歳までは手がかかります。9歳からはお金が懸ります・・・」

なんだか子育ての大変さがリアルに伝わりました。

さて「ママに言いがかりをつける自己中心性」とはなんでしょう?

一つはジェリーさんの文脈から感じられる「他者の視点の欠如」のようなものがありますね。性格のワガママさとは違いますので、混同しないようにしてください。

実は「自己中心性とは何か?」という問題は、意外とむつかしい・・・。どの子どもも通る道なので、普遍的な価値があるはずです。

社会性と言う観点から見ると「他者の視点の欠如」は、「反省的視点」の前段階ということになりますが、「個人的思考の飛躍」と言う観点から見ると「他者の視点の欠如」は有効な状況と言うことになります。

他者の視線を気にせずに、空想の翼を広げることができますから・・。

たとえば、ぐりとぐらが大きなお鍋を持って森に出かけ、みんなでカステラを作りますね。このカステラを「あなたもたべますか?」と差し出すと、ほんとうに美味しそうに食べてくれるのは、この月年齢の子どもたちです。

「かいじゅうたちのいるところ」のマックスと一緒になって、怪獣踊りを楽しむのも、この月年齢の子どもたちです。

もしも、大人が子どもたちのいないところで、こんなことをしていたらアブナイ人と思われかねませんのでなかなかできないですよね。それは「他者の視点」を感じるからかも知れません。

要するに、「他者の視点の欠如」は社会的観点から見ると脆弱さがありますが、
個人的思考の観点から見ると豊かさがあるということです。

自己中心性には、自己中心的思考と自己中心的言語の二つの側面があるようです。

思考が豊かで、言語が乏しいと「イイ・・・」てなりますよね。ですからこの時代の子どもたちに絵本を読んであげたり、お話しをしてあげることはとても良いことだと思いますし、子どもたちも好みます。それは言葉が、思考を伝える手段になるからでしょうね。

一般的には「言葉で考えること」を思考と思いがちですが、「思考を言葉で捕えること」が、その人の思想になるのだと思います。

「言いたいことを言えないとき」イライラしますよね。これは「ジブンの思考を言葉で捕えられない状況」なのかもしれません。

では「思考」とはなんでしょう?

ピアジェの「知能の誕生」は、生物学的なものからどのようにして思考が生まれるのか?という探求です。そしてヴィゴッツキーは「思考と言語」で、系統発生から見ても個体発生から見ても「思考の歴史」は「言語の歴史」は古い・・・、そしておおよそ2才で、思考と言語が交差すると考えたようです。

1歳半以前の前言語期の赤ちゃんでも、プラステンのリングを棒に差し込むことができますよね。これは、視覚から入ってくる情報を基にして、感覚運動的に目的を果たしていますから、思考的操作と言うことになります。

考えてみると、生まれてわずか1年チョツとで、そんなことができるようになるなんてすごいですよね。

まして、3歳8か月で「三角と三角を合わせたら四角ができた」という抽象レベルの思考を、モノを使ってのこととはいえ素晴らしいと思いますね。

ですから、ママに言いがかりを付けるということはあると思いますが、今しばらく大目に見ていただきたいですね。

子どもの成長は、どのように考えても「早期教育」では補完できません。それよりも自然な発達に耳を傾けていきましょう。

最後になりますが「ママやパパに言いがかりを付ける」のは、「言いがかりを付けても大丈夫な人」と信頼しているからだと思いますよ。

いい感じです。

あと一年もすれば、身体の制御も上手になるでしょう。それから一年すれば、
こころの制御もできるようになってくるでしょう。

子どもの乳幼児期は「人間と言う大きな樹木になる種のようなものです」
170年も前のフレーベルの言葉は、今も生きているように思いますね。















  1. 2016/11/12(Sat) 12:09:48 |
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  3. ジジ #-
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