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No title
白石正久先生の講演会が枚方市であったそうですね。
田中昌人氏は、1932年生まれですから、白石先生とは年齢差が24歳くらいあります。ですから田中昌人氏は白石先生の先生かも知れませんね。
実は、小西先生も田中昌人氏から学んだと言っていました。小西先生も障害児医療に関心が深かったので、田中昌人氏の影響かも知れませんね。
小西先生の言葉で印象に残っているのは「障害のある子を、健常児のようにしようとするのは、健常者の思い上がりかも知れない。そんな暇があったら、障がいが有っても安心して生きていけるような社会システムを創ることに努力した方が良い・・」と言っていたことです。
この文脈での「健常者の思い上がり」というのは、小西先生自身を指していたように思います。ジジが小西先生を尊敬するのは、こうした人柄です。
田中昌人氏とは、出会ってはいないけれど「子どもの発達と診断」は繰り返し読みましたね。障がい児教育の本と言うより、もしくは発達診断の本と言うより、
幼児教育本来の教科書だと思いました。
随分前のことですが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏が大分市での講演で「ドフトエフスキーの白痴は、代一級の教育書です。」と言われたことがあります。ジジは大江健三郎の本もドフトエフスキーの本も好きだったけど、白痴を教育書として読んだことはありませんでした。
さっそく読み直して、ドフトエフスキーの子どもの描写の仕方は素晴らしいと、改めて思いました。ドフトエフスキーにとっての子どもは、教育の対象ではなく新約聖書の世界での神の近くに住む人として描かれています。ここがトルストイと違うところですね。
田中昌人・杉江著「発達と診断」は、素人にはちょっと難しい内容だけど、全5巻もあるので読むのは大変だけれど、ジェリーさんも頑張って読んでたようですね。
田中昌人氏の言葉に「第3世界」と言う言葉が出てきます。6~7歳くらいになると「親や先生がいない道草する場所」というような意味で使われています。これらのリスクは伴うけれど第3世界を通して、子どもたちは様々なことを学んでいきます。
「第3世界」という言葉は残してくれましたが、第3世界そのものがなくなっつぃまうということは、田中先生も思いつかなかったのかも知れません。
子どもが「自ら考えて行動すること」、かって第3世界が保障したこうした世界に変わるものを、私たちは考えていかなければならないでしょう。
私たち大人が考え方を変えていくこと「もうそれしか残っていない・・・」ような気がします。
力不足かも知れませんが、わたしたちも考えていきましょう。
田中昌人氏は、1932年生まれですから、白石先生とは年齢差が24歳くらいあります。ですから田中昌人氏は白石先生の先生かも知れませんね。
実は、小西先生も田中昌人氏から学んだと言っていました。小西先生も障害児医療に関心が深かったので、田中昌人氏の影響かも知れませんね。
小西先生の言葉で印象に残っているのは「障害のある子を、健常児のようにしようとするのは、健常者の思い上がりかも知れない。そんな暇があったら、障がいが有っても安心して生きていけるような社会システムを創ることに努力した方が良い・・」と言っていたことです。
この文脈での「健常者の思い上がり」というのは、小西先生自身を指していたように思います。ジジが小西先生を尊敬するのは、こうした人柄です。
田中昌人氏とは、出会ってはいないけれど「子どもの発達と診断」は繰り返し読みましたね。障がい児教育の本と言うより、もしくは発達診断の本と言うより、
幼児教育本来の教科書だと思いました。
随分前のことですが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏が大分市での講演で「ドフトエフスキーの白痴は、代一級の教育書です。」と言われたことがあります。ジジは大江健三郎の本もドフトエフスキーの本も好きだったけど、白痴を教育書として読んだことはありませんでした。
さっそく読み直して、ドフトエフスキーの子どもの描写の仕方は素晴らしいと、改めて思いました。ドフトエフスキーにとっての子どもは、教育の対象ではなく新約聖書の世界での神の近くに住む人として描かれています。ここがトルストイと違うところですね。
田中昌人・杉江著「発達と診断」は、素人にはちょっと難しい内容だけど、全5巻もあるので読むのは大変だけれど、ジェリーさんも頑張って読んでたようですね。
田中昌人氏の言葉に「第3世界」と言う言葉が出てきます。6~7歳くらいになると「親や先生がいない道草する場所」というような意味で使われています。これらのリスクは伴うけれど第3世界を通して、子どもたちは様々なことを学んでいきます。
「第3世界」という言葉は残してくれましたが、第3世界そのものがなくなっつぃまうということは、田中先生も思いつかなかったのかも知れません。
子どもが「自ら考えて行動すること」、かって第3世界が保障したこうした世界に変わるものを、私たちは考えていかなければならないでしょう。
私たち大人が考え方を変えていくこと「もうそれしか残っていない・・・」ような気がします。
力不足かも知れませんが、わたしたちも考えていきましょう。