あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





一人ひとりを大切にする :: 2013/09/13(Fri)

こどもは、一人ひとり顔や性格が違うように、興味や関心があることも、感じ方も、表現の仕方も当然違っていい


小学校に入れば、みんなと合わせることに重きを置かれ、「違う」ことは「困る」こと「悪い」ことのような捉え方を大人が発してはいないだろうかと考える


もう30年近く前のことですが、
わたしが小6のときのこと


担任の先生は定年を控えたベテラン教師で校内でも有名な厳しい先生でした



クラス内では、先生とそのクラスの子にしかわからないような先生の出すサインに応じるというルールがありました


ですから、ボーッと窓の外を見てたり、考え事をしたりして先生の言動を見逃していると、出されたサインに応えられず、

「聞いてなかったな!」
「こちらに集中してないな!」と

罵倒され、みんなの冷ややかな注目を浴び立たされることになるので、

それはもう、大変な緊張感のもと過ごしました

規律を重んじ、それに応えられることこそ6年生なのだと思いました

学生は自分が置かれてる環境が、自分を支配する全ての世界なのです

そこに「おかしい、それは間違っている!」なんて思わないでただ従うしかなかったのです

担任に対する勇気を出した思い切った級友の発言にドキドキしましたが、バッサリ斬り捨てられた記憶があります


先生は、圧倒的・絶対的存在であり、
規律でもって、生徒を管理下においていました

今では、このような封建的なクラスはあまり見られないでしょうが、
このようなことはその時代は普通にあり、言うことを聞かない、態度が悪いといって叩かれることもよくありました


体罰を受けるのもイヤですが、体罰を受ける級友の姿を見るのもショッキングなことでした


6年生のとき、その日はなんだかモヤモヤとまったりした雰囲気がクラス内に漂っていました

雨が降り続いていたのかもしれません

クラスには、忘れ物が多く、制服のシャツはズボンから出ていたり、体操服がよごれている男の子Hくんがいて、いつも先生に大声で怒られ、叩かれていました

質問されても的確な返答ができず、まごまごしていると、先生は「自分のことなのにわからんのか!」とバカにしているような発言もよくありました

ある時、暇をもてあました(ようにみえた)担任は、授業中Hくんの整理されていない机の中から片手でつまんで中のものを出してみんなに見せはじめました


数日前の給食のパンの残り、濡れた靴下などなど・・・

クラス中がどよめきました


Hくんは、はずかしそうに下をうつむき、ばつが悪いのを補うようヘラヘラとしていました

すると先生はヘラヘラしていることに、「反省してない!」と、さらに腹を立てていました


わたしは、恐い先生の関心が自分ではなくHくんにあることに心の片隅でどこか安心している気持ちと

先生に同調する気持ち、強いもの、権力のある人側になりHくんを見るということがありました

今となっては、気が弱く、勇気のない自分を恥じています

しかし、その当時はそうすることしかできませんでした


今でもこの時のシーンは、鮮明に焼き付いていて覚えているので、ずっとわたしの中に引っかかっていたのかもしれません

今思えば、Hくんは発達障がい児であったことは間違いないでしょう

外見は健常児そのもので、普通学級にいて、授業を妨害したり、級友とトラブルになることもなければ、彼の困り感に誰もスポットを当てることはありませんでした

身だしなみを整えることが苦手

給食のパンを残したいのに、「ビニール袋を下さい」と言えないで、そのまま机に入れることで解決をはかる


整理整頓が苦手で、机の中はどこに何があるのかわからない状態


(どちらが先だったのかわかりませんが)机の奥にパンがある上に、その中に濡れた靴下もそのまま入れる


聞かれたことに、答えることができない(これは、恐怖感からで信頼関係が担任との間になかったためかもしれません)


このことだけでも、時系列に沿って考えたり、そうするとどうなるかの想像力に欠ける部分や
自分のことを表現するのに言葉を上手く組み立てることができない

であろう特性があったことと思います


担任の発言には、そこにいるみんなに大きな影響を与えました

Hくんは だらしない、きたない、怠け者、

怒られて当然、さらし者にされて当然・・


そんなふうに映りました


Hくんは、自分の特性とは離れた言葉や体罰によって、ひどく人権を傷つけられたのです

机の中のものをきたないものを扱うように晒されて、恥ずかしかったに違いありません

彼には、「ヘラヘラ笑う」ことでしか、その場に居ることができなかったのです

Hくんが、その後どのような進路を辿ったのかを知る由もありませんが、

彼の特性に気付き、苦手部分を向上させるような日常時における訓練がなされていれば、困り感は軽減できたでしょう


また、大人はこどもの特性を理解し、不用意な発言で人権を傷つけること(二次障害)がないよう配慮しなければいけないことは言うまでもありません



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comment

昔はそのような高圧的な教師がいっぱいいました。そしてそのような教師が良い教師でした。一人一人の個性や違いなどに「価値観」をもたない教育環境で、よい教師を目指せば、そのような教師像になったのでしょう。そのような教育観では、「真面目な」教師だったかもしれません。

教育観、もっと根本的なことでいえば、人間観がいかに大切かを思い知らされます。

また教育観、人間観の根底にある<無意識>が知らず知らずなんらかのことをしているかもしれません。
  1. 2013/09/13(Fri) 21:51:07 |
  2. URL |
  3. m.k.masa #-
  4. [ 編集 ]

m.k.masa様

> 昔はそのような高圧的な教師がいっぱいいました。そしてそのような教師が良い教師でした。一人一人の個性や違いなどに「価値観」をもたない教育環境で、よい教師を目指せば、そのような教師像になったのでしょう。そのような教育観では、「真面目な」教師だったかもしれません。
>
> 教育観、もっと根本的なことでいえば、人間観がいかに大切かを思い知らされます。
>
> また教育観、人間観の根底にある<無意識>が知らず知らずなんらかのことをしているかもしれません。


画一的な一斉授業が機能した時代は、教師はそのようでした。
現在でもアジア新興国では、かつての日本のようなやり方で
PISAの得点をぐんぐん伸ばし、上位に名を連ねるようになった一方で
親の子に対する学習熱も上昇しているといいます。
(『子どもが自立できる教育』著:岡田尊司)
少子化、苦労せずともなんでも手に入るようになった結果、
どうなったのかまるでどこかの国をみているようです。
こどもが自立できる教育で、長年上手く成果を出している国から
学べるのではないかと思います。
  1. 2013/09/14(Sat) 08:27:38 |
  2. URL |
  3. ジェリー #-
  4. [ 編集 ]

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