あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





人間は「共感」を求めている! :: 2013/10/04(Fri)

このような質問をいただきました

「こどもが上手くいかなかったり、思い通りにいかない時など怒りをぶつけてくるときに、家族を叩いたり、噛み付いたりすることがあるのはやはりよくないでしょうか?」


こどもの特性や親の特性、それまでの生育環境は一人ひとり違うので一概には言えないこともあろうかと思いますが、
わたしはよくないと思っています



私たちは、人とお付き合いするなかで
嬉しさや楽しさ、驚きを感じ幸せな気持ちになることもあれば、

わかりあえず憤然とすることや、
世の中の矛盾に不満を感じたり、人の冷たさに悲しみを感じることもあります

しかし、多少の波があろうとも、一人の人間として平穏でいられるように自然に努め日常生活を過ごすことができます


共有できる友人がいれば、お互いに胸の内をさらけ出して語り合ったり、

または、お酒を飲んでうさ晴らしをすることもできますね

ストレスを上手く逃がす術を知っているのです

それは、状況を把握し判断する力、空気を読む力、忍耐力、同じ目的にむかって協力するなどといった高度な力を経験によって培ったからこそ、

辛いことも乗り越えていけるのです


世の中は上手くいかないこともあるけど、

腹が立つこともあるけど、

ガンバッていこう! と思えるのです



では、こどもはどうでしょうか?


あそびの心理研究所のジジさんから、
「こどもの意識は大人の無意識」という言葉を聞いたことがあります

こどもは、大人のように自分の出来事や感情を理路整然と説明したりすることはないでしょうが、

大人の無意識の中でもはや感じ得ることのできない感覚や想いをたくさん内に秘めているのです

心の内は見ることができないので、どんなにこどものことや心理について研究している学者でも、その全容を解明することはできません


ハッキリ「こうです!」と言えないこどもの抱えている心の内を大人がどうにかしてあげることは不可能なのかもしれません

まだ成長の一過にある彼らが吐き出す手段は、行動から見てとれます


自分の外側へ放出する場合はわかりやすいです

対物・・・おもちゃを散らかしたり、投げたり、破壊行動、モノを盗む

対人・・・家族やともだち、信頼できる大人を叩いたり、噛み付く、汚い言葉でののしる、わがままを言う


また、ストレスがモノやヒトに向かわない時、無意識で自分へ向けられる場合もあります


チック、爪噛み、便秘、円形脱毛症、頻尿、元気がない、食欲不振


外へ内へと時間を経て方法を変えて表れる場合もあります



わたしはストレスが自分に向かうより、外へ放出できる方が健康的に良いと思っています


さらに、外へ放出されるならヒトを叩いたり、蹴ったり、噛み付かない方法が良いと思います


だれも傷付けられることを望んでいないし、痛いのはイヤだからです


そこを毅然として伝えなかったら、非社会的な放出の仕方をアリだと思ってしまうと危惧しています


こどもの方も望んで「困ったちゃん」になりたいとは思っていないはずですから、そこは伝える必要があると思います


(心因的ストレスを抱えやすいこどもには、どこか満たされていないと感じていたり、より共感を求めていると感じています)


では、その「伝え方」です


こどもが興奮状態である場合、
何を言っても届かず、状況によっては火に油を注ぐようなものでさらにエスカレートしてしまうこともあります


ヒトを叩いたり、噛み付いたり、投げたら危険なモノを投げようとしている時は制止しますが、

それ以外のときは、こどもの安全を確保しながら(視野に入れながら)、
落ち着くのを待ちます

「無視」とは違います


ある一定の範囲内で、
柔らかいものなら投げてもイイだろうし、危なくなければ散らしてもイイ

口汚く罵ってもイイ


余裕があるなら、落ち着くまでにどれほどの時間がかかるか見ておくのも、今後の指針になります


落ち着いたら、こどもに向き合い(抱っこでもイイですね!)原因が見えるときは、「こんなことされてイヤだったね」「腹が立ったね」「痛かったね」と、そうなるに至った出来事に対しては100%認める


あなたがそのように思ったのね、よしわかったと共感する

一方で、叩くのはどうかな?と、振り返させるのもイイだろうし、
わたしは叩かれて痛かった
叩かれるのはイヤだ
叩かないで欲しい
叩くはダメ

としっかり「わたしメッセージ」を伝えること

(蹴る、噛むなど人体を傷付ける行為も同様)


一度や二度ではおそらくムリでしょうから、

その場面に遭遇した際は何度も何度も言って聞かせることになるでしょう

彼らを信頼して待つのです


このとき気をつけたいのは、全てを否定したり、禁止すること

危険な行為に至った道筋までも封じ込められてしまうと、放出の仕方がますますわからないままエスカレートしたり長引いてしまいます


次に、問題をすり替えること

手っ取り早くこどもに言うことをきかせるために大人が選びがちな手段です


別の魅力的なご褒美を目の前にぶら下げて、それと交換条件にこどもをコントロールすることは、困難に対峙する機会を奪います


しまいには、こどもの方から無理難題を押し付けてくるようになります


こういった関係が親子間にあるのは、こどもの自立を困難にします


いつもこうでないと!というのではなく、理にかなった願いは聞き入れ、譲れない点については絶対にブレてはいけないのです



・・とは、いえ親だって人間です
そのときのコンディションによっては思わず感情的に叱ったり、言わなくてよいことを言ってしまったり、タイミングを間違うこともあるものです

後から、あれはよくなかったなと反省することもよくあります


でもいいんです

間違ってもいいんです


こちらが悪かったと気がついたときは謝るのです

(あとで謝ればいいのだから、始めからわかっていて間違ってもいいというのとは違います)

そんな親子関係が構築されていたなら、
幼かったこどもが思春期を迎え荒れ狂う海の中にいようとも、

親が謝ることを見せるとこどももいずれ謝るようになります

冷静に自分を見つめられるこどもに成長します


私たちは、こどもがひとりでできるように手伝います

こどもができるようになることを増やしていくのです

そのためにできることは、日常にあふれています

「お手伝い」は生活に密着した良い訓練になります

生活に必要なスキルを自然と身につけることができます


その場面で出来たことを認める

小さな成功体験を重ねることは心的ストレスを和らげ、やがて感情をコントロールしていくのを助けることにつながるのではないかと思います


最近、わたしは思うのです


こどもは、「共感」を求めている

いくつになってもです!


そして、その相手は最も自分に近いひと
信頼を寄せているひと
ときに腹が立つ存在であるけど、一番認めてほしいひとに対してです



その相手に「母親」を選んでくれたなら母親であるわたしは嬉しく思います


もちろん、「母親」に限らず共感してくれる大人は多くいればこどもは幸せです(父親、祖父母、親戚、ともだちの親、近所のひとなど)

みんなわかってくれないけど、身近な人が共感を示してくれたらもうそれだけでOKと思いませんか?


「うん、そうだね、わかるよ」


きっといくつになっても、そんな言葉を望んでいるのだと思います


「共感する」だけで、あちこちぶつかりながらも自分で生きる術を身につけることができてゆくのだと思います



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