あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





スタッフとして、人間として :: 2015/09/04(Fri)



リボンクラブを自分の仕事ととして選び、
小さな教室を開いてから はや2年過ぎ。


おかげさまで教室を通じてでなければ、出逢えなかっただろう子どもたちに多く関わる機会を持たせてもらっています。

当時年中さんで入って来た子どもたちが今では小学生になり、時折元気な姿に会えるのはとても嬉しいものです。


一人ひとりの特性に触れ、間近で子どもたちの持つ能力、みなぎる生命力、力強さ、頼もしさ、思いやり、想像力に心を打たれ


15年後、20年後、一体この子は何をする人になるのだろう?とワクワクします。
そんな楽しみを授かったこと、また保護者の方達と分け合って共に喜べることを幸せに感じています。

大人にとって、子どもとは希望そのものです。

それが
リボンクラブの子どもたちだろうと
近所の遊び友達だろうと
自分の子どもであれ、
全ての子どもたちに対して希望を抱いています。



そのなかでも、とりわけリボンクラブの子どもたちは特別な存在であり、
お母さんに「わたしの気づき」をお伝えする難しさを感じています。


リボンクラブのスタッフとして、「お母さん」の視点でもなく、「ママ友」の関係を良く保つためやひいき目、遠慮でもない、うわべの薄っぺらな体裁を保たなければならない関係にもありません。


目の前の子どもから見えてくる
イキイキした姿や困り感についての困り感の方です。

リボンクラブでは、一人ひとりの個に寄り添って関わっているので、「もしかしたら、こんなところで困っているかもしれない」

家庭や集団では気づかれない点が浮かび上がるのです。



子どもがおとなしくて、聞き分けがよく、大人の指示を聞いて、危ないこともしない、手を焼くもこともない、友だちとトラブルもない


一見、何か困り感を抱えているとは見えなさそうな場合でも


家庭や幼稚園でも見過ごされてしまう危うさに遭遇するのです。


いつもトラブルを起こす子や、肢体・発達に障がいがある子は大人の目が向けられやすく、サポートを受けられるのですが、

トラブルがなく、知的水準も標準的でおとなしい子どもは集団の中では困り感に気づいてもらいにくい傾向があります。



ちょっとおとなしいだけなんじゃない?
恥ずかしがり屋なだけよ、という具合に。


自身も、なぜ自分がそんな状態になるのか、とても説明できないことと思います。



そんなとき、現状のまま何もしないで「見守る」ではない、さらに積極的に踏み込んだ「調整」が必要になってくると思うのです。


では、医療のケアでもなく、専門的な知識を持たない周りの大人にできる「調整」とは何だろうということになりますよね。



子育ての最たる目的は「自立」であり、
この世に産んだのが「第一の出産」で、社会に巣立たせるという意味で「第二の出産」と言われた方もいました。
「自分のことを自分で考えてできる子にする」とも、小西先生の著書『こどもの脳によくないこと』なかで表現されています。


小西先生のおっしゃる「いらんこと」をしないで困り感をサポートするって、どうすればいいのか、わからない!という声が聞こえてきそうですが・・。


極端な話ですが、今自分が事故や病気で突然死んでしまったら、果たして子どもたちはどうなるんだろう?
何に困るだろうか?
なるべく路頭に迷わないで、生き伸びる術を身につけて生きていって欲しい。
ということを、時折わたしは考えてみることがあります。

これは、これまでの長女の子育て期間中、
幼稚園のときと小4のときには2人ものクラスメートのお母さんが病死されたことが、わたしに考える機会を与えてくれたのだと思うのです。

幼い子どもをのこして先立つことになり、どれほど無念だっただろうかと。


愛情を注いでもらえる人が少なくなる、
ということは別のこととして脇に置いといて、

例えば、朝 時間になると起きる。
食事の用意をして、
身支度、身だしなみを整え、
所属する集団社会に間に合うよう家を出る

そのためには
時計を活用すると良いでしょうが、その前に時計が読めること、日付を知ることが必要になってくるでしょう。
着替えや洗顔などの身辺の自立が不可欠です。


生きていくための糧を得る調理方法も知らなければならないでしょう。
その前に材料を揃える買い物。買い物をするには計算や計画を遂行する力、文字も読めなければ難しいですね。

清潔な衣類を身につけるための洗濯、干し方などなど気持ちよく暮らすための知恵など
自然の摂理に合わせた暮らしそのもの、

全てお母さん任せ、機会任せで気づかないでいることに、目が向くような日常生活を送ること。


これが家庭教育だと思うのですが、
これらのことをお母さんと一緒にやってみることで、気づきがあるかもしれません。
子どもを観察してみてください。

始めは間違えたり、失敗するでしょうが、
ゆっくりとできるようになることが増えてくれば良いと思うのです。


小学生になったら、自分で電車やバスの切符を買う、料金を払うなどのできることの広がりがあるのはいいステップになると思います。



長々と綴りましたが、


子どもが上手く育っていないと感じるのは、
お母さんの躾や接し方が悪いから・・とか、


子どもがこんなふうなのは、じゃあこうさせたらよいとかいった一朝一夕に解決策があるのでもなく、


性格だから仕方ない、と諦めるのでも


どれにも当てはまらないように感じている、
ということです。



子どもとお母さんの距離感が近すぎると盲目的になるし、離れすぎだと見落としてしまう。

あるいは、子どもが必要としていないときに、先回りして接近したり、

今見て欲しい求めの瞬間にすれ違いがあり、
親子間のズレが生じてしまっていることも

子どもの状態から感じることがあるのです。


子どもは毎日、懸命に今この瞬間を真剣に生きていますから、柔軟に対応できるのは周りの大人しかないでしょう。



ツラくない
悩まない
比べない


子どもの力を信じる、幸せな子育ての力になりたいのです。






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comment

   一本の木を育てようとするとき
     私は、その木がどれくらい大きくなるのかを知らない。


これは、ドイツの音楽家カール・オルフの言葉です。音楽についてはすっかり無知なのですが、心惹かれる言葉です。

私たち自身の中の「木」を育てることも、子どもの中の「木」を育てることも、同じ時代に生きながらゆえに、それぞれの苦悩を経験しているのかもしれません。

そして・・・、
オルフ教育には「メソッドがない」ということにも惹かれました。

「みんなで持ち寄って・・・・」
ということだそうですが、依存しないでという意味も含まれていて、助け合ってという意味も含まれているようです。

日本語には「お互いさま」という言葉がありますが、赤ちゃんであれ、60過ぎのジッサマであれ、たまたまの出会いで一時を過ごすということに不思議さを感じる時もあります。


「一本の木を育てようとするとき」

これは必ずしもオルフ自信を指しているのではなく、

「私が・・・・」
「私たちが・・・」

なのかも知れないと思いました。


「その木がどのくらい大きくなるかを知らない」


いい言葉ですね。

 








  1. 2015/09/07(Mon) 18:46:54 |
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  3. ジジより #-
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