あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





やり取り能力 :: 2015/10/28(Wed)

☆ちゃん(2歳1カ月)

部屋に入ると、まっすぐ椅子に座るようになりました。
「始まる」ときは、ここであいさつするんだよね~ってわかっているようです。

目に入ったクレヨンで描画。

右手でクレヨンを持ち、左手でしっかり紙を押さえています。
左右の手の役割りの分化が進んでいくときです。

今度は絵の具を希望して。

色の重なりを感じています。
わたしの手ってすてき!なんてうつくしいんだろう!

って思っているかはわかりませんが、わたしにはそう聞こえてきそうです。

終わったら、「できた!」と言ってオワリを知らせてくれます。



最近、おうちではお人形をおんぶすることが気に入っているそう♪

「ボーシ、ボーシ」
小さなお母さんはあかちゃんに帽子を被せてあげたいのだそうです。

〝ジブンのうしろ〟がイメージできていて、見えない背中側を指し示しています。


帽子を被せてもらったら足取り軽くおままごとコーナーへ。


お盆を取り出し、何やら準備を始めました。



ジブンのお母さんへ、アイスやミルクを運びました。

もう一体お人形を抱えてきて、
「エーン、エーン」と泣き声を模して、お母さんへ抱かせました。

「このコ、泣いてます!」ということのようです。
お母さんは、「泣いてるのね。よしよし。」と言ってあやしてあげました。

すると、満足したように今度はわたしの方へ「エーン、エーン」と言いながら、
お人形を抱くように持ってきました。

わたしも、「あら、泣いていますね。よしよし。
あら?泣き止んだかな? ニッコリしていますね」
と言うと、納得したようにしてお人形を持っていきました。


すごいですね。
スクリプト(脚本)を形成してあそんでいます。
このときの、ことばはモノ(人形)を使うことで置き換え、お母さんやわたしと場面を共有します。

特別な表情を持たない人形をあたかも泣いているようなつもりでお世話することを要求しました。
「もう大丈夫」と充足されたら、ほんとうに泣き止んだように感じているのでしょう。

実際には泣きも笑いもしない人形を本当の生命あるヒトのように見ているのです。

ですから、わたしたちも人形をぞんざいに扱ってはいけませんね~!


100均一の照明を手に持ち、「でんき」と言いました。
「そうね、電気ね。こうすると光るよ」と言って、プッシュして見せました。
その照明に興味がありそうだったので、光を利用すると美しいLuxy積木を出してあげました。

「キレイ」と言いながら、積木を立てたり、並べたり、積んだり・・

お部屋の照明を消すとこんな感じ。



Luxy積木であそんだあとは、「ネンド」と言いました。

「☆ちゃん、粘土であそびたいの?」「うん!」

☆ちゃんは色がわかるようなので取ってあげるのではなく、
「粘土はあそこにあるよ。」と指し示し、「ほら、あそこの黄色いハコ」と情報を添えました。

☆ちゃんは差された方向を見て、
「キイロ」を手掛かりにして、見事欲しいものの獲得に成功しました。

丸い粘土を「ギュッ、ギュッ、ギュ~」と様子を表すことばを添えて潰すと、
☆ちゃんも「ギュッ、ギュッ、ギュ~」と言ってつぶします。

ギュッの口元と連動して、指先に力が入ります。

細長い形状の粘土をハサミで「切る」にも挑戦!

ハサミを開くのは、なかなか難しいことのようです。
でもあきらめず、何度も切っています。

椅子にはおんぶしていた人形を座らせています。



先ほどの積木を並べ始めました。

どうやら同じ形ばかりを並べています。
たまたまでしょうか?

ちょっとイジワルをして別の形を目の前に出してみました。

すると、「コレはチガウ」というように外して、やはり並べているものと同じ形の積木を探しているようでした。

形を弁別し、仲間あつめをしているのですね!


チガウ形のものをくっつけて並べようとしたら、外されてしまいました。

やはり同じ形の積木を並べています。

「並べる」あそびにオワリがくると、トンネルをハイハイして全身運動しています。


集中のあとは、解放して自らバランスを保ってあそびます。


体調がよく、機嫌のよいときは、
このように「面白そうなモノ」を見つけて、探索の旅に出かけていくようです。


最近では、プレ幼稚園での出来事を誰が、どうして、どうなったと、
そのことを知らないお母さんにもわかるよう話してくれるようになったのだそうです。

リボンクラブでは、おもちゃ(モノ)を
「ママ」「ジェリー」「☆ちゃん」と言いながら一人ひとりに配って歩くことをよくしています。
一対一対応のあそびが楽しいようですね~!


話しことばの前におもちゃを操作して、豊かなことばを身につけていく経緯があります。
おもちゃを媒介して、やり取り能力を身につけている2歳児さんの姿です。

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  1. いやだ!ちがう!2歳児
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今、マリア・モンテッソーリの「幼児の秘密」を読み直しています。随分以前に読んだので、すっかり忘れていたので・・・。

「動物の本能からどのようにして人間精神が生まれてくるのか?」

このあたりが「幼児の秘密」のテーマのようです。

1930年代の執筆のようなので、現在と状況は違いますが、精神分析学が無意識を発見したことに対して、評価をするとともに、課題も投げかけています。

その秘密を明かすには、これからの研究を待たなければならないということでした。

その上で、生理学的なアプローチとして、オランダの学者デ・フリースの「生物の敏感な時期」という概念を取り上げて、幼児教育に取り入れたということです。

モンテッソーリ教育では「敏感期」や「秩序感」という言葉を聞くのですが、幼児教育に科学を取り入れたということでは、画期的であったと思います。

精神分析学者が成人の無意識から、赤ちゃんや幼児の研究に移行していったのは、1950年くらいからでしょうから、モンテッソーリの生前とすれ違いになったことは残念だと思います。

もし、あと30年生きていれば、彼女は幼児教育に精神分析学の成果を取り入れていたかもしれませんね。

イギリスのアレキサンドル・ニールは、1920~30年くらいだと思いますが、学校教育にフロイトの精神分析学を取り入れていました。

ジジが、霜田静志訳の「ニール著作集10巻」読んだのは、40年くらい前ですが、びっくりしたのを覚えています。というより衝撃的でした。

窃盗した子どもに、校長室で話しながらおこずかいを与えるのですが、ニールの言い分としては

「愛の象徴としてものを盗んでしまった子どもには(さみしくて)、愛の象徴としてのお金を与える」ということです。

端折りすぎて、なんの事だか分かりにくいかもしれませんが、ニールの言葉でいえば「知識より感情」が教育の基本ということです。

動物本能からどのようにして人間精神が生まれるのか?

このあたりを研究したのが、クラインやウィニコットではないかと思うのですが、理解するのはむつかしかったですね。

たまたま今回、赤ちゃん学会でボールビーのアタッチメント理論に出会えたことで、素人にも理解できる領域として、ウィニコットが浮上してきました。

ウィニコットは、一つの本能の二つの側面として「火」をとりあげて、

「火」は破壊的であるとともに創造的であるように、本能も一つであって二つの側面を持っていると説明しています。

クラインが「死の本能」と「愛の本能」の二つを想定していたのに対して、一つの本能で説明したことでわかり易くなりました。

「一人の赤ん坊はいない」

このウィニコットの謎めいた言葉と、ボールビーの「かっての精神分析学者は、親が子どもを迫害するという前提はしていなかった」という言葉がリンクして、ジジの頭の中で、子どもの精神は「母と子の関係」から創られるという道筋ができたように思います。

動物の本能からどのようにして人間の精神が生まれるのか?

このテーマに対して、この☆ちゃんの2歳1か月の様子を見て「ここに、明らかに人間の精神が芽生えている」と思いました。

チンパンジーでは超えることのできない領域としての、表象レベルの活動が随所に見られます。

乳幼児の教育とは何か?改めて考える機会になりますね。











  1. 2015/10/31(Sat) 16:55:58 |
  2. URL |
  3. ジジより #-
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