朝、リボンクラブで支度を整えながら待っていると、外から大きな声で「ジェリーさ~ん」と呼んでいるのが聞こえてきました(笑)
元気にやってきた☆ちゃん。
玄関先の睡蓮鉢を覗き込み「サカナー」
入室して魚のモビールを見て「サカナー」
描画をしても一筆終えるごとに「サカナー」

描いたものに命名する「(サカナの)つもり活動」が現れ始めました。
ひとしきり描くと「オシマイ!」と言って終えます。実にすがすがしく気持ちが良いです。
いつも気になっているウォーターゴースト。わたしがやって見せていたのですが、
ついにジブンでクルックルッとさせることに成功しました!

壁面に掲示しているカードに興味を示しました。

「ブドウ」や「セミ」がわかるようです。
節分の「オニ」はコワイもののようで、お母さんが指すと嫌がります。
☆ちゃんは、胴体を回転させると立ったり座ったりするこのミニドールがお気に入り。
あるだけ出してきて坐位をとったので、
「ソファに座らせてあげようか~」と誘って赤いドールを座らせてあげました。
それを見ていた☆ちゃんも積木でソファを作り、黄色のドールを座らせてあげました。
わたしが作ったのと違うのは背もたれ部分を積木に載せているところです。

このようにすると座面の幅が狭くなってドールを座らせにくいし、
かと言って座面を広くしようとすると背もたれがバランスが保てなくて倒れてしまうのです。

しかし、☆ちゃんはそんな微調整を繰り返して
☆ちゃん流ソファをミニドールの数ぶん作りました。
この数ミリ単位で重力を感じながら微調整する成功体験は、ブロックでは得ることはできません。
お母さんの報告によると、
最近は、ドールハウスに興味を示すようになり
ミニチュア家具や人形であそぶことが多くなったのだそうです。

リボンクラブでもドールハウスの前に立ち、身近な家具を出してあそんでいます。
写真はピアノの椅子にお父さんを座らせようとしているところ。
ピアノは音が出るもの。
歌う時に使うものであることを生活の中から知っています。
☆ちゃんが歌い始めましたが、わたしはその歌詞を知らないので、わたし流に歌詞をつけました。
すると、「チガウ~!」と☆ちゃん。
☆ちゃんの知っている歌と違うのでしょうね。
テーブルについて食事をしています。

ミニチュアの食器を上手くつまんで置いています。
ベッドに寝かされた人形へわたしの手をクレーンのようにして持っていきました。
「ネンネしてるね~。ネーンネ、ネーンネ」と言って人形をトントンしてあげました。
すると「チガウ~!」と言って、手を下されました。
うーん、どうしたらよかったのか?正解がわかりません(笑)
ウッドビーズの容器の蓋もご覧のとおり。

右手を内転、支える左手。
大人の目を盗んで、テープをなが~く引っ張りました。
お母さんが切ってあげると、容器にペタッ。
同様にもう一枚。

「オシマイ!」
ジブンであそびのオシマイを決めるスッキリとした印象です。
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「母親を安全基地として探索に出かける」
☆ちゃんの探索活動を拝見していると、上記の文章そのままですね。
☆ちゃんのママが、赤ちゃんの時から☆ちゃんをどのように取り扱ったのかは知りませんが、これらの自然な発達が保障されている限り、小学校に行って勉強についていけないということはないだろうと思いますね。
おおよそ2歳くらいから表象レベルの活動が見られるのですが、☆ちゃんの活動にも、
「動物の本能からどのようにして人間の精神が生まれるのか?」という文脈での、人間の精神活動が随所に見られますね。
モンテッソーリは、このあたりのところを「敏感期」という言葉で表現しているようですが、「チガウ」と言って頑固にこだわる時期です。
生後10か月くらいから始まる「ダダコネ」も、抱き方がチガウとか、寝るところがチガウとかで、ママをホトホト困らせる時期があると思いますが、☆ちゃんのチガウには文化が伴っているように思います。「同じ」という概念が身についたうえでの「チガウ」ですね。
描画に「サカナ」の意味づけや、鬼の絵カードから「怖い」をイメージするなど、チンパンジーにはとてもできない領域だと思います。
積み木のソファーとミニドールの配列も面白いです。無意識だと思いますが操作レベルでの1対1対応も見らますし、見立て行動も随所に見られます。
「見立て」は言語レベルの活動ですから、2才から4歳にかけての語彙の獲得においても有効だと思われますし、語彙数の多さと学力の相関性は証明されています。
「あそぶこと」と「学力」は、基本的な土俵が違いますし、情報収集の仕方も違います。その上評価の仕方も違ってきますから、将来の学力のためにあそぶというのではないと思うのですが・・・。
ジェリーさんが「自然と触れることと、文化と触れること」という表現をしていましたが、あそび道具としてのおもちゃのセレクトもさまざまな影響を与えるだろうと思います。
そして「あそぶこと」は、進化と言ってもいいように思いますが、自然が人間の赤ちゃんや幼児に与えた生きていくための方法だと思いますね。
言葉を身に着けること、見立てること、ならべること、記憶すること、数えること、ナラティブ(物語)を作ること、いずれもママに教えてもらったわけではなく、☆ちゃんが身につけていますもんね。
私たちは、もっと謙虚に子どもと関わっていいのかも知れません。
- 2015/11/07(Sat) 17:51:02 |
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