あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





子どもと家族とまわりの世界 :: 2015/11/13(Fri)



幼児や子どものことでみなさんに指摘しておかなければならないことは、
すべてが順調にいっているとしても、子どもにとって生きることは容易なことではないのです。


自発性をもたずただ従順に従うだけという場合を除いて、
涙のない人生など考えられないということです。


人生は生まれた時から困難なものであり、どんな幼児でも子どもでも厄介であるという証拠を示すものです。


だれにも症状はあるでしょうし、ある状況のもとでは病的な症状を現わすこともあり得るのです。


どんなに快適で理解ある家庭生活が背景にあったとしても、
普通の人が育っていくのは厳しいものだという事実に変わりはありません。


実際に子どもの要求を完全に満たしている家庭というものは、
子どもにとって耐えがたいものなのです。といいますのは、
子どもが怒ることにより、息抜きをすることができないからです。




『子どもは なぜあそぶの ー続・ウィニコット博士の育児講義ー』D.W. ウィニコット 著





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「子どもの要求を完全に満たしている家庭というものは、子どもにとって耐えがたいものなのです。それは、 子どもが怒ることにより、息抜きをすることができないからです。」

ウィニコットの言葉は、理解しようとすればするほど、理解不能に陥ってしまうようなところがありますね。

でも時には、子どもや子育てのことは一時忘れて、こうした言葉に耳を傾けてみるのも楽しいです。

もし、ジブンが子どもだったとして、経済的にも文化的にも、両親の愛にも恵まれ、特別なコンプレックスに遭遇することもなく、快適な幼少年時代を過ごせるとしたら、私は不幸だろうか?

この問いに対しては「いいえ、私は幸福です」と答えたいです。

しかし、もし、ジブンが子どもだったとして、経済的にも文化的にも、両親の愛にも恵まれ、特別なコンプレックスに遭遇することもなく、あなたは快適な幼少年時代を過ごしていると、両親が考えているとしたら、私は幸福だろうか?

この問いに対しては「私は不幸かも知れない」と答えたいです。

ウィニコットの言葉に「偽りの自己」という言葉がありますが、これは、母親か父親の願望に沿って生きるしかできなかった子どもが、後に精神の病理をきたした時に発見された「怒りを隠した自己」です。

「怒りを隠した自己」は、一見親孝行であり、親を恐れていているということですが・・・、隠した部分は病理としてジブンに向かってきます。

なんだか考えるだけでも「せつない」ですね。

幸い、子どもの要求を完全に満たしている家庭というのは少ないかもしれませんね。イライラしたり、腹がたったり、泣いたり、怒ったり、わがまま言ったり、するのが普通の家庭です。

普通でよかった~

ウィニコットの文章には「警告のようなもの」があるので、つい興味をひかれてしまいますね。












  1. 2015/11/15(Sun) 12:29:27 |
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  3. ジジより #-
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