あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





この日のお二人さんは? :: 2015/11/26(Thu)

蓋が開いたままの、ばらばらの10コの箱が視界に入りました。

それぞれに見合う蓋を、おそらく「色」をマッチングさせて順対応していきます。



なぜだか自然に演奏会が始まりました。
各々が気の向くままに楽器を鳴らします。
ニーナさんにも参加するよう楽器を差し出してくれました。

ときおり、お互いを見合っています。
笑っている開放的な気分を共有し、特別な世界観に浸っているようです。


転がり落ちる数の箱。
お友だちがするのを見て穴にペグを差しました。
アレ?落ちない? ペグを押して落とそうとしています。さっきはたしかに落ちてたんだけどな~?

彼女はまだ箱の引き棒の存在は知らないのです。
そこで、先に操作していた★くんに
「ねぇ★くん、◯ちゃんがどうしたら落ちるのかわからないみたいなんだけど・・。どうしたらいいかな?」と尋ねてみました

すると、★くんは状況を理解して◯ちゃんの近くへ行き、「ここをひっぱるとおちるよ」と言ってして見せてくれました。

そうして◯ちゃんも、見事ペグを転がり落とせました。

3歳児さんも、側にいる人が困っていると知ると助けるのですね。


★くんがカプラを並べ始めました。


ついには このように並べ、列車を走らせる線路に見立てたようです。

しかし、どんなに懸命に並べても列車を走らせようとすると両脇に立てた壁(?)が倒れます。

列車を走らせる→ カプラ倒れる → 並べ直す →列車を走らせる→ カプラ 倒れる・・を繰り返します。

なかなか思うようにならず、いつイライラが爆発するのかとヒヤヒヤしながら見守りました。
(念のため側にレールをつなげたものをスタンバイ😅)

そんなわたしの心配をよそに
熱心に何度も何度も立て直す後ろ姿に感動😭
★くんはわたしやお母さんが思っているより、ずっと先を歩いているように感じられました。

また、こんなこともありました。
お母さんがお手洗いに退室されたときでした。
ちょうどそのとき★くんは絵本が目に入り、お母さんに読んでもらうことを望みました。
「お母さんはトイレだからね。ジェリーさんが代わりに読んであげるよ。」と手を伸ばしました。

★くんは一人っ子で普段お母さんと蜜月を過ごしています。絵本を読んでもらうのは絶対にお母さん!と譲らないかも・・とよぎりました。

★くんは黙ったまま動きが止まり、何か考えているようでしたが、次の瞬間には、わたしに読んでもらうことを受け入れたようで絵本を渡してくれました。(おっ!)

読み始めたところで、お母さんが戻ってこられると、「あ、もういいわ」とあっさりわたしに断りを入れ、お母さんに読んでもらうことに決めました!(笑)

やはり「お母さん」にはかないません。

でも、状況によっては信頼できる大人なら許す、というような許容範囲の広がりを示してくれたのです。


こちらは、お人形の髪の毛にくしをあてたり、
食材を調理して日常を再現する模倣あそび。

二人ともあそびに夢中で、お母さんのまなざしの中で安心しています。
お母さんにアイコンタクトを送りますが、肌の接触までは求めません。


「テープはるから、紙ちょーだい」

「全部の色を貼ること」が目的となっているようでした。


ちょっと欲張ってアレも見たい、コレも見たいと課題に誘ってしまいました。
もちろん、やりたくない、興味ないものには見向きもしません。
うん、その通りだね!それでいいよ!





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comment

賢い人間になろうと思うのなら、まず情緒的に安定したパーソナリティーを目指しましょう。・・・・・結局それが近道なのです。

というのが、アタッチメント理論の中核的な考え方のようです。

「賢い生き方とは何か?」

これも難しいテーマですが、生涯発達心理学という概念から考えてみると、乳幼児期、思春期、配偶者を求める時期、子育て期、子育てを終えた後の老齢期、いずれも情緒的危機に陥りやすい節目のような時期があります。

現在3歳の子どもも、15年後には18歳、それから10年後には結婚の適齢期になっていきます。それから子育てに20~30年かかるでしょう。現在の状況から判断すると、子どもが経済的に自立していくにはそれくらいかかるでしょうから・・・。

ジジは65歳で子育てが終わりました。「これからどうしよう?」と考えています。これからは、老いと戦っていかなければならないようです。でもそれだけでは、なんだかつまらない・・・・・。夢を失いたくないと思います。

「空想すること」と「現実をリアルに感じること」これらは互いに補完し合っているとウィニコットは考えていたようです。

「空想すること」は、私自身の身体器官の興奮と関連している、いわゆる個人的な領域のことですが、「現実をリアルに感じること」は、他者の存在や現実を受け入れること、そのために努力をすることが要求されるようです。

子どものあそびは「空想すること」が根幹にあるようですが、この空想の世界に現実を少しずつ取り入れていくことが大切だということです。

それとは別に「空想すること」には美意識があります。この美意識がどこからくるのかは知りませんが、芸術家にとっては必須のものかもしれません。

なんだか脱線してきているようです。夕方の買い物があるので次回に回します。





  1. 2015/11/29(Sun) 17:34:31 |
  2. URL |
  3. ジジより #-
  4. [ 編集 ]

先日、車の中で遠藤先生と話していたとき、「孤独な科学者」と「陽気な社交家」という言葉がでてきました。

子どものあそびを形容する言葉として使われたのだと思います。

「孤独な科学者」は、おおよそ1歳過ぎには見られますが、興味のある対象を懸命に探索することです。このブログではカプラでレールを作って列車を走らせようとするところですね。

「陽気な社交家」は、お世話遊びや役割遊びのことだと思いますが、「みんなですることが楽しい」という気分を作り出します。ここでは、気の向くままに始まった演奏会に見ることができます。

「あそびとは何か?」これは難しいテーマですが、子どもが情緒的に成熟していくためには、あそびのプロセスは欠かすことはできないだろうと思っています。

「空想の領域に現実を少しずつ取り入れていくこと」これも大切なことだと思います。なぜなら、空想の領域では主にジブンが主人公ですが、現実の領域では「必ずしもそうではない」という現実の壁があるからです。

遠藤先生の講演の中で「錯覚と脱錯覚」という言葉が出てきました。これはウィニコットの対象関係論から引用されているのですが、

赤ちゃんの主観的妄想を受け入れながら、少しずつ現実世界を案内していく母親の養育技術のことを表しています。これは無意識にされているのですが。

そのためには周産期の母親に対して、精神的にも物理的にもケアーされる環境が必要だとも言われています。

要は、乳幼児期においては自然に育つことと、自然に育てられることが大切だということですが、私たちの周辺の環境では、ここが難しいところですね。

それだけに「考えどころ」でもあるのでしょう。

おおよそ1950年くらいからの教育に「どのように教えるか?」というのがありました。これは「子どもは幼い」という前提に立った考え方です。

この「子どもは幼い」という前提そのものは間違っているとは思わないのですが、「幼い」の捉え方が間違っていたと思います。

「幼い」というのは、幼稚なのではなく、生きていくための戦略だと考えた方が科学的だと思えます。

乳幼児期の成長は「促すのではなく待つこと」、そしてもう一方には、環境の構造化というテーマがあります。

これは、それぞれの養育年齢にふさわしい、子どもたちが活動しやすい環境とはどのようなものかということです。

深刻に考えずに、楽しく空想してみることも良いと思うのですが・・。

「孤独な科学者」の姿は、おおよそ生後6か月くらいから見ることができます。

匍匐して目の前のものを捕ろうとすることです。必ずしも前進するとは限らないのですが・・・

「陽気な社交家」は、どこまで遡れるのでしょう?誰にでも愛想が良い、やはり5~6か月頃でしょうか?

これから「人見知り」の時期を挟んで変化があります。

「孤独や科学者」が本格的に現実検討を始めるのがこれからで、「陽気な社交家」は疑うこと覚えてきます。これは、母親以外の他者を信頼することの始まりかも知れませんね。

今日の3歳のお二人は随分しっかりしていますね。

日常では大変なことの連続だと思いますが「子どもが楽しく遊べること」これは、今までの養育の一つの成果だと思いました。



  1. 2015/11/30(Mon) 10:53:11 |
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  3. ジジより #-
  4. [ 編集 ]

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