あそびのアトリエ リボンクラブ大阪池田ルーム(旧ママりす日記)





自我の拡大 :: 2015/12/09(Wed)

「☆ちゃん、ママ車停めてくるからリボンクラブ先行っといて」と門のところでお母さんと別れても、

「ウン」と言って、弾んだ足取りで部屋へと入っていき、わたしと二人でいることができます。

お母さんがそばにいなくても、内面に「お母さん」という表象が生き続けるのでしょう。


「おおよそ2歳までのお母さんとのアタッチメントの質で、愛着パターンが決まる」ということでしたから、☆ちゃんの様子からすると安全基地の心理的安全性が高く、エネルギーが探究や探険に向けられやすいのだとみられます。

(参考: あそびの心理研究所『探索システムとアタッチメント』資料より)


☆ちゃんのお気に入りのティピテント。
スナップを留めてほしいというので留めるところを見てもらいながら留めてあげました。

隙間から顔を出したのが可愛らしい!

そのあと、自分で留めようと挑戦する姿がありました。




☆ちゃんはこのところ、このマドレーヌちゃんの靴と靴下を脱がしたがります。

室内で履いているのはオカシイと感じているためか、ただ単に脱がしたいだけなのかはわかりません。
お世話あそびをしています。



ハサミを使って、テープを切るのだそうです。

ハサミを握るのは易しいのですが、開くのが難しいですよね。

経験を重ね、うんとスムーズに扱えるようになっています。

紙を出してあげると、貼り付けます。
時折、粘着面を上に向けたまま貼ろうとするので当然ひっつきません。

「ひっつかない」を充分感じているところで、
「ひっつかないね。はんたいかな?」と言ってあげると、「ハンタイ?」と言って指を返して貼り付けに成功しました。


この後、引っ付かない→「ハンタイ?」と言う→成功する、を何度も繰り返しました。

きっと「ハンタイ」の意味を確かなものに捉えるための練習をしているのだと思いました。


相棒のマドレーヌちゃんと一緒に椅子に座っています。笑



ひも通しに挑戦中→→→

穴が小さい上、紐の先の固い部分も短いため、
難しいです。

リング状の平たい形なら通しやすいですね。



色の名前を教えてくれました。

一つずつ指差しながら
「ピンク、ミドリ、キイロ、バナナ」


バナナがどれかわかりますか?

わたしが「白」と言おうとした矢先でしたから、一瞬 ん?となりましたが、よーく見ると確かにバナナのようです。そう、皮を剥いたバナナってこんなですよね。



そろそろ帰らなきゃいけない・・
でも帰りたくない・・

お母さんとは別の一人の人間よ。
わたしは、お母さんとは違うの。
イヤよ。まだ、あそびたいのよ。

大人がなんとなく帰るような雰囲気を出してくるけど、構わずコマ回しちゃうもんねー(笑)


右手を内転させて。




自我が拡大する時期。
大人が思うようには頑として動かなくなるほど、意思がしっかりしてきます。


子ども側からすると、
思い通りにならないことに出会い、葛藤を覚える時期でもあります。


普段からある程度制約が少なく、自由に思いのままに動ける環境を与えられている子どもたちは、
何十分も泣き続けることはないだろうと思います。


この時期にありがちなのは、
言うことを聞かすためにモノで釣ったり、脅して(「~しないとオニがくるよ」など)
その場しのぎの対応をされている方をよく街中で見かけます。

繰り返していると、
葛藤に耐える機会を失うばかりでなく、
この世はコワイところ、
お母さんはいつも正しいと思うようになります。


いつも不安に見舞われたり、
自分に自信が持てず、大人に依存することが多くなり、自分の頭で考えたり動くことに消極的になります。

お母さんだって間違うこともあるし、
オニはいなかったと知ると、
大人への不信感は募り、反抗するようになります。
近い将来、暴君のような振る舞いにかえって手を焼くことになるでしょう。


「小さいからわからないだろう」とこどもの能力を見くびって育てていると、きっと後悔することになります。


この辺りで親子のボタンのかけ違いが起こりやすいのかもしれませんね。








関連記事
  1. いやだ!ちがう!2歳児
  2. | trackback:0
  3. | 本文:2
<<あそび仲間の存在意義 | top | 子どもを取り巻く生活環境の変化>>


comment

一昔前のことを言うと「鬼に笑われる」かも知れませんが・・・。

「子どもは授かりもの」という考え方がありました。「つが付くまでは神の内」という言葉もあったようです。

「つが付くまでは・・・」とは、子どもの年齢のことで、ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・・ここのつ」ということで、今でいえば「9歳までは、神様のふところに住んでいる」という意味だったようです。

昔と言っても明治・大正時代のことと思いますが、子どもが多産で死亡率も高かったようで、母親の悲しみを和らげるために「神様のところへ帰っていった」と考えたようです。

もう一つは「9歳までは子ども期」で、10歳になると労働者として扱われる年齢になっていたのかも知れませんね。

良くも悪くも、「子どもは育てる」のではなく、「育つもの」という考えがあったようです。

「子どもを育てる」という考えは、20世紀になってからで、日本でも戦後のことではないかと思います。早期教育はその典型的な例で、有名な医師や心理学者が育児についてあれこれ言うようになりました。専門家こそが子どもを賢くできると思い込んでしまったようです。

先日の遠藤教授の話でも、赤ちゃん学会の小西先生の「お母ちゃん、いらんことすんな・・・」発言でもそうですが、「生まれたばかりの赤ちゃんの能は白紙のようなもの」という考えは、科学的に間違っていて、赤ちゃんのことはまだよく分かっていないこと、母体内の赤ちゃんは能動的に活動していること、味覚や聴覚や臭覚での分別ができることなどは分かってきたそうです。

要するに「だからどうすればいいか?」というところまでは、分からないようですが、生後2~3か月の赤ちゃんも、環境に能動的に関わっていて、ある程度の分別能力があることもわかってきたようです。

今わかってきたことは「赤ちゃんは自ら育とうとする力を持っている」ということで、ニュアンスは少し違ってくるのかも知れませんが「赤ちゃんは天からの授かりもの」と考えた方がいいのかも知れませんね。もしくは「自然からの授かりもの」でしょう。

☆ちゃんのあそぶ様子を拝見していると、「教育されて」というより、自然に身につけてきているという印象です。

勿論、ママの献身的な支えを背景にしているのでしょうが・・・・・・・。

この機会に、赤ちゃんの過去に少し遡って考えて見ます。

ボールビーのアタッチメント理論では「母と子の情緒的きづな」が中核になっています。

このアタッチメント理論が発表される前に、ウィニコットは「一人の赤ん坊はいない」という言葉を使っている、もしくは発見をしているのですが、ジジ的な解釈でいうと、赤ちゃんの心は「母と子の関係から」生まれるということです。

「赤ちゃんの能は白紙のようなもの」という前提とは随分違います。

行動主義心理学の生みの親と言われるワトソンは「こころというものはなくて、脳の機能というシステムがあるだけだ」と考えたようです。

今になって考えてみると「ちょっとヘン」ですよね。

ウィニコットの見解に、絶対的依存期、相対的依存期という言葉がでてきます。

おおまかには、絶対的依存期が0~6か月ころ、相対的依存期が6~12か月ころ、それから二足歩行できるようになるのを「自立に向かって」と表現しています。

絶対的依存期では母と子の親密な関係もしくはコミニケーションが中心になるのだと思いますが、相対的依存期に入ると母以外のモノへの興味がでてきます。

簡単に言うと「仰向けの時代」から「うつ伏せの時代」へ移り、移動することができるようになります。「興味のある方向へ移動することができる」これは、赤ちゃんの世界観を飛躍的に広げていくのでしょうね。

そして二足歩行の時代に入ると、両手が自由になり、移動距離も格段に広がっていきます。ハイハイ時期に比べると発見することも、モノを操作することも増大していきます。

遠藤先生によると、「怒り」や「悲しみ」に並んで「興味」も一時的感情だそうですが、興味は喜びと結びついているようです。

自由に移動して歩行できることと、モノが操作できること、状況に合わせて判断することは、子どもの自己肯定感を限りなく育んでいくのでしょうね。もちろん危険のリスクも増えるのですが・・・・。

おおよそ2才になると、奇跡のようなことが起きてきます。それが見立てることであり、並べることです。そして、ナラティブ(物語)を作りだします。

現在の☆ちゃんが今ここをあるいていますね。

大人が教えたいと思うことと、子どもが自力で学ぶことは随分違っているかも知れません。

子どもが学んでいることにママたちには気づいて欲しいです。









  1. 2015/12/12(Sat) 17:29:13 |
  2. URL |
  3. ジジより #-
  4. [ 編集 ]

今日は珍しく暇なのでつづきを書いてみます。

クリスマスを前にして、おもちゃ屋さんが「暇です・・」というもの「ちょっとへん?」ですが、まあ~いいかぁ~

先日、遠藤先生に「幼児期に身につけなければなかない一番大切なことは何ですか?」と尋ねたところ・・・・。

「ジブンが信頼できることでしょう」と答えられました。

遠藤先生は、東京大学大学院教育学部教授ということですから、子どもについての情報はたくさん持っていらっしゃると考えても良いと思います。

「ジブンが信頼できる」ということは、どういうことでしょう?

アタッチメント理論のパーソナリティーBタイプ(安定型)の子どもは「養育者に肯定的感情を見せることが多く、養育者を安全基地としての探索活動が見られる」とあります。

これを手がかりにしていきますね。

アタッチメントとは、不安や恐れの感情が生じたときに養育者に接近して安全感を確保しようとする生理的なシステムと考えられています。

そして、探索活動とは、新奇刺激によって引き起こされ、接近して情報を得ようとする活動ということです。

アタッチメントと探索活動の活性化水準は互いにシーソーのような関係になっていて、アタッチメントの活性化水準(緊急事態)が上がると、探索活動の活性化水準は下がります(探求活動の停止)。

接近した養育者によって安心感が確保されると、アタッチメントの活性化水準が下がり、探究活動の活性化水準が上がるシステムになっているそうです。

ここで二つの注意点が指摘されていますが、その一つが子どものSOS信号です。
子どもが困る前に先回りしてケアーをする習慣を身につけると、子どもはSOS信号を発することが身につけられなくなるということ。

もう一つは、子どもが探索活動をしているときは不用意に介入しないということ。離れて見守るというスタンスですね。

これらのことが「安全感の輪」というアイデアで、ビジュアルに表現されている図があるのですが、ジェリーさんに見せてもらってください。

この「安全感の輪」が

「如何に、自然に、確実に」機能し得るかが、子どもの健やかな成長の鍵」と書かれています。

2才になった☆ちゃんの場合、このパターンが上手く運んでいるのでしょうね。

では、これからはどのような活動が予測されるのでしょう?。簡単に追いかけて見ます。

2才から4才にかけて、一般的に言語量が増大してきます。3才くらいになると一日中しゃべり続けて、ママにしてみると「いいかげんに、静かにして欲い・・」
となるかもしれませんね。

「自我の拡大」ということでしたが、何でもジブンでしたがり、できないと「ママがワルイ」と言いがかりをつけてくるでしょう。


身体運動では歩く距離が飛躍的に伸びて、2才での片足立ち(2~3秒)から、4歳ぐらいでは利き足でのケンケンができるようになってきます。

ごっこ遊びのおもちゃは、たくさんのものが利用されるようになって、所狭しと
広げられるかもしれません。

時間感覚がないので、グズグズしていて、ママがカリカリする場面も多くなるのではないかと思います。

要は、ママも「大変でしょうね」と同情するしかないのですが・・・・、

ここを乗り切ると、おおよそ4歳後半から5歳にかけて「シッカリ感」が身についてくるのではないかと思います。

家庭の中ではまだまだワガママな態度は消えないでしょうが、幼稚園のような集団の場では「シッカリ頑張っています」の声が聞かれるようになるでしょうね。

5歳くらいになると、嘘を言ったり、わざと反対のことをしたり、言葉の汚れが見られたりしますが、7歳くらいになると修正されてきます。

駆け足で書いてきたのですが、

最後に遠藤先生のアドバイスを紹介しますね。それは「環境の構造化」というテーマです。

ジェリーさんのブログに「子どもを取り巻く環境の変化」が書かれていました。

子育ての環境が年々悪化しているようにジジも感じています。

それだけに、それぞれの年齢にふさわしい経験を、できる範囲で考えていきたいということです。

「ジブンが信頼できること」

それには、子どもにとって「信頼されること」も必要なのかもしれません。


「かわいくて、にくたらしい」かもしれませんがガンバって・・・。












  1. 2015/12/13(Sun) 16:31:51 |
  2. URL |
  3. ジジより #-
  4. [ 編集 ]

comment


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://omocharibon.blog.fc2.com/tb.php/925-3a8ddff1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)